2002.10.01 tue. 台風21号。大蟻食はバイオリンのレッスンへ。飛浩隆「グラン・ヴァカンス 廃園の天使I」(早川書房,Jコレクション)を読み終える。1000年も前に放棄されて、今ではAIだけが暮らしているヴァーチャル・リゾートに「怪物」が襲い掛かってくるということになるのだろうか。決して新しい種類のアイデアではないけれど、書きぶりが実に巧みな小説である。魅力的だとつい真似したくなるというわたしの悪い癖をかなり刺激してくれた。感覚面に押し寄せる痛々しさはどこかクライブ・バーカーの「ウィーブワールド」を思わせたが、スケールはこちらの方が大きくなりそう(完結していないから)。 夕方になって風雨が強まる。大蟻食の植木鉢を室内に移す。それから「美味しんぼ」の82巻!を読む。おむすび対決なのである。パエリアに生ハムを巻いた物がおむすびの味をしているとは思えないし、今時の「普通の家庭の主婦」たちが腰を屈めて割烹着を着ているとも思えない。それともあれは海原雄三の趣味なのであろうか。それはそれとしておむすびが食べたくなったのではあるが。晩ご飯は四川風の春雨。それを食べながらニュースを見て、それから 「ローラーボール」 を見る。SFだと思って見始めるとすごい肩透かしを食うからね。 2002.10.02 wed. 大蟻食のお父さんとお母さんが大蟻食の仕事場の改装結果を検分に。合格できたようである。大蟻食のお父さんは仕事へ行ってしまったので、大蟻食のお母さんと大蟻食と一緒に妻家房へ昼食へ。おなかいっぱいになるまで食べる(これがよくなかったのである)。夕食は近くにあるフレンチ・レストランの Le Bouillonへ。 きのこのコースを注文する。マイタケのフリカッセとフォアグラのコンビネーションが絶妙であった。マッシュルームのポタージュもおいしいし、地鶏ときのこの煮込みもおいしい。ここの料理はひとを幸せにしてくれるのだけど、昼間、妻家房でサムゲタンだのなんだのを食べ過ぎたせいでわたしはチーズにたどり着くことができなかったのである。だからデザートにイチジクのコンポートを食べることもできなかったのである。おいしかったけれど、ちょっと悲しい。 2002.10.03 thu. いつもより少し早めに起きて田園調布へ。駅前のメゾンカイザーでクロワッサンを買って戻る。それで朝食。大蟻食のお母さんが興味があるというのでお昼ご飯は"銀節や"へ。例のオーガニック・ラーメン屋さんである。わたしは初めて味付き卵というのをトッピングしてみる。半熟であった。夕食はちょっと慌しくDOMINOのピザ。食事の後、大蟻食は聖歌隊の練習へ。 2002.10.04 fri. 前日同様、いつもより少し早めに起きて田園調布へ。駅前のメゾンカイザーでクロワッサンを買って戻る。それで朝食。エクレアも買ってきたので、それで昼前に軽いお茶。ちなみにメゾンカイザーのエクレア(ショコラ)は中にきっちりとチョコレートのカスタードがつまっている。こういうエクレアにはあまりお目にかかれない。散歩の途中に立ち寄って、ひとつ買って歩きながら食べるとちょっと幸せな気持ちになる。エクレアを食べた後、大蟻食のお母さんは新潟へ。大蟻食とわたしはお昼を食べにフランス亭へ。独特のアレンジを施されたステーキがメインのお店である。最近、選択に困るとここへ来ることが多いようだ。大蟻食はネギ塩を注文する。わたしは新メニューのステーキ丼を注文する。店員に卵を付けますかと訊かれたので、お願いしますと答えたら丼に卵がトッピングされてきた。半熟であった。夕刻、わたしは所用で鎌倉方面へ。大船から湘南モノレールに乗り込んで寂しい場所へ。そこで打ち合わせをして、また湘南モノレールに乗って大船に戻り、東海道線と東横線を乗り継いで帰宅したら10時を過ぎていた。で、ひとつ発見。この時間帯に横浜を通過しても、崎陽軒でシュウマイは買えないのである。 2002.10.05 sat. 朝、大蟻食は慶応へ。午後は早稲田へまわって講義を二つこなして帰宅する。その間にわたしは「HUNTER X HUNTER」(富樫義博,集英社)の15巻と「WANTED!」(尾田栄一郎,集英社)を読む。前者は前の巻をまるごと使って説明していたゲーム・システムがようやく動き出した感じ。面白い。後者は「ONE PEACE」の作者のデビュー作を含む短編集である。非常に雄弁な絵を書くひとだと思うのだけど、その絵柄を固めていく過程がそのまま現われていて、これも面白い。いや、最初の頃は本当にへただったんだね。 夜、大蟻食が帰ってきたところで洋食屋さんのブラームスへ。土曜日の晩なのですごく混んでいる。食事を済ませて、同じ建物の真下にある青山ブックセンターで買い物をして、東急ストアでも買い物をして、帰宅する。大蟻食は一休み。わたしは「CAT SHIT ONE」(小林源文,SOFTBANK)の3巻を読む。読み始めたとたんに強い既視感に襲われて、なんだこれはと大混乱に陥ってしまったが、落ち着いてよく考えたらなんのことはない、最初のエピソードは 2年前の4月 にコンバット・マガジンで読んでいたというだけのことであった。米兵が全部かわいいウサギさんになっているベトナム戦争コミックである。これで完結で、ちゃんと撤退までやってくれた。ちなみにこのマンガではベトナム人はネコ、中国人はパンダ、ロシア人はクマ、フランス人はブタ、日本人はサル、イギリス人はネズミということになっていて、それが同一平面上でほぼ同じサイズで出現して、しかも解剖学的におおむね正しいのである。で、ウサギさんの米兵が「突撃」とか叫ぶと、南ベトナム軍のネコたちが「にゃー」とか叫びながら走り出したりするわけである。中身は史実に基づいたおおまじめな戦争マンガで、それでそうした場面をなんの違和感もなく成立させてしまう才能がすごいと思う。ところで昼間、自由が丘の南口側の遊歩道を通りかかったら、生まれたばかりのウサギのもらい手を探しているひとがいた。これがパッキー軍曹そっくりのウサギだったのである。もらい手はちゃんと見つかったのだろうか。 2002.10.06 sun. 大蟻食は聖歌隊の練習へ。わたしはなんだか眠くて朦朧としていた。夕方、大蟻食が帰ってきたので一緒に買い物。夕食はスパゲッティ2種(チーズ、ペペロンチーニ)とサラダ。大蟻食が食事の支度をしている間、わたしは横に座り込んで「基本の台所」(浅田峰子、グラフ社)をめくっていた。土鍋でお米を炊く方法がちゃんと説明してあったので、そのうちにやってみようということに。スパゲッティを食べながら 「愛しのローズマリー」 を見て、見終わったら外は雨になっていた。 2002.10.07 mon. 早朝から雨。強い南風に送られた雨粒が窓ガラスを叩き、どこかで雷まで鳴っていた。9時過ぎには上がって、10時を回った頃には真夏のような青空が広がる。蒸し暑い。大蟻食は仕事場へ。わたしは所用で学芸大学駅へ。東横線のホームに立って南の空を見上げていたら、宇宙戦艦ヤマトみたいな形の雲が流れてきた。特徴的な下部構造物まで備えている。風下に向かって舳先をつきたてて、見ている間にその舳先が美しい渦を描いて崩れていった。わたしの目でもあれだけはっきり見えたということは、高度がかなり低かったということであろう。大蟻食は午後から早稲田へ。わたしは家に残って「プロフェシー」(ジョン・A・キール、南山宏訳、ヴィレッジブックス)を読み終える。1966年にウエストヴァージニア州で目撃された怪物「モスマン」と、それと並行して報告されたUFOの目撃、MIBの出没、宇宙人の出現などを包括的に報告したノンフィクションである。というよりも、そうした一連の騒動に著者本人が巻き込まれて神経を苛まれた記録である。超常現象の追跡というのは、どうやら本当に健康によくないらしい。まとまりが悪くて読み進むのが少々辛い本だが、いろいろと興味深い事例が紹介されている。ちなみにその中のパラノイアに関するいくつかの記事は 「陰謀のセオリー」 でも使われていたような気がする。 2002.10.08 tue. 学研から出ている「歴史群像・太平洋戦史シリーズ39」が「帝国陸軍 戦場の衣食住」というタイトルなのである。大正11年と昭和12年の下士官兵用のメニューが写真で再現されているところが楽しいし、明治から昭和までの糧食の開発史も簡略な内容ではあるが興味深い。今で言うカロリーメイトのような物資が支給されていたといったことは、初めて知った。ほかに軍馬や軍用犬、軍用鳩の糧秣規定などが採録されていて、ただ採録されているだけだと言えばそれっきりなのだけど、それなりに面白かった。このシリーズには批判的側面がまったくないので話がきれい事にまとめられているところがあるものの、最前線で湯たんぽで水を運んでいる写真には涙が出たし、中国本土でやサイパンなどでの自給生活の写真を見ると、やはり気が滅入ってくるのである。そういうみっともない戦争はしないに越したことがないからである。補給できないような場所へ軍隊を送るという発想は、まったく許容できないからである。やっぱりというか、なんというか、将軍閣下が 「卵がうまかったぞ」 ではかなわないと思うのである。 2002.10.09 wed. ふと思い立って1970年代SF特集ということにして、 「サイレント・ランニング」、 「ソイレント・グリーン」、 「赤ちゃんよ永遠に」、 「未来惑星ザルドス」、 「エクソシスト2」、 「スペース・サタン」 を 「映画のこと」 に追加した。 2002.10.10 thu. 夕刊のテレビ欄をなんとなく眺めているうちに「あっ」と驚いた。BS2の「ホーンブロワー・海の勇者(終)」ってなに? というわけで見てみたのである。イギリス製のテレビ番組で、たしかに原作はセシル・スコット・フォレスターの「ホーンブロワー」なのであった。「海軍士官候補生」をドラマ化したらしい。最終回は「海老と蛙」で、つまり反革命軍のフランス侵攻のエピソードである。これがまた実に薄っぺらで安手な仕上がりであった。製作規模ではNHKの大河ドラマとおおむね同じか、やや下くらい。原作ではかなり大規模な軍事行動になっていたけれど、こちらはだいぶこじんまりとした作戦になっていて、同じなのは艦載砲を揚陸して、という部分だけ。で、わたしは原作に忠実かどうかはあまり気にしない方針にしているのだけど、このホーンブロワーはいくらなんでもあんまりだと思う。ラテン系の色男みたいな外見をしている。腰がなよなよとしている。艦長に向かって海事法律家のような口をきく(なのに誰も叱らない)。そして番組製作予算が少ないところを台詞で補おうとしたせいで、とにかくホーンブロワーもペリュー艦長も余計なことをぺらぺらと喋るのである(指揮官のお喋りぶりは 「エネミー・ライン」 によく似ている)。そのせいであまり有能に見えなくなったところへ、上陸してからの話に無理に恋愛沙汰を押し込んだために、ホーンブロワーが仕事をしているように見えなくなってしまった。インディファティガブル号の船首楼がむやみと高くなっていても、どこに大砲を積んでいるのかよくわからなくても、ホーンブロワーが長靴を履いてトップマストに上がっていてもかまわないけれど、この軽薄さは明らかに違うもので、だから我慢できなかった。「ホーンブロワー」関係の過去の映像化というと、わたしが知っている範囲では 「艦長ホレイショ」 くらいで、これもひどくいいかげんな代物だった。複雑で内省的なキャラクターだから映画にするのも難しいと思うけれど、めちゃくちゃにしてしまうくらいだったら「ボライソー」でもドラマ化して、ふぁさっと前髪でも垂らしていればよかったのではないかと思うのである。 「ゴーメンガースト」 もそうだったけれど、かなり大きな不満が残った。 2002.10.11 fri. 朝夕の気温がだいぶ下がってきた。大蟻食は日帰りで新潟方面へ。わたしは所用で代々木方面へ。四半世紀ぶりに代々木ゼミナールの本館へ接近する。あのざわざわした雰囲気は何も変わっていなかった。お昼を食べながら打ち合わせ。秋刀魚の刺身(温製)というのは初めて食べた(もう一度食べようとは思わない)。夜、大蟻食が富山の鱒寿司をくわえて帰ってきたので、それを食べながら 「戦艦バウンティ号の反乱」 を見る。見ている間にお寿司を食べ終えてしまったので、今度はお茶をいれて大蟻食が長岡で買ってきたお団子を食べる。品のよい味であった。 2002.10.12 sat. 自由が丘駅周辺は次第に女神祭モードへ。本番は13日からである。大蟻食は朝から慶応へ。午後は早稲田。個人指導で遅くなって帰ってきたので妻家房で夕食を食べる。 「戦艦バウンティ」 「バウンティ/愛と反乱の航海」 を 「映画のこと」 に追加。よくよく考えてみると、「バウンティ」物というのは全体に出来があまりよろしくないようだ。 2002.10.13 sun. 女神祭が始まる。というわけで自由が丘駅周辺はそこら中に早々と屋台が出て、お昼にはたいそうな人出になる。大蟻食は朝から教会へ。わたしも午後から教会へ。上野毛教会創立50周年記念ということで聖堂で聖歌隊による音楽会が開かれる。大蟻食もソプラノ・パートを担当して、後ろの列で歌っていた。高齢のアダミニ神父がお元気そうなのがなによりである。夕方、自由が丘へ戻る。駅南口の遊歩道周辺は例によって芋を洗うような状態になっていて、そういうところで皆がワインのグラスやビールの缶、皿に盛った様々な料理などを抱えて右往左往しているので歩行にはたいへんな危険がともなう。大蟻食が乳母車に引かれた。こちらも負けずにワインを飲んで、それから買い物をして帰宅する。夕食は「リサーチ200X」を見ながら手巻き寿司。 2002.10.14 mon. 今日も夏日。たぶん昼前には25度に達していた。イチジクのシーズンが終わってしまったせいで朝食のメニューが混乱している。この春以来、果物とヨーグルトということになっているのである。代わりの果物が思いつかなかったので今朝はクロワッサン。お昼はベトナム料理店のダラートへ。生春巻と野菜炒めを注文して、後は麺類を食べる。天気がいいし、女神祭なので人が出ている。自由が丘全域でちょっとした人出になっていた。食事の後はお茶をして、散歩をしてからブティックに寄って大蟻食とわたしと一枚ずつセーターを買う。店長の話だと、お祭にはかなりの集客効果があるらしい。屋台の並びをうろうろしながらワインを飲んで、邦楽の人たちがジャズ・セッションをやっているのを聞いて感心したりしているうちに夕方になったので買い物をして帰宅する。夜は水餃子。 2002.10.15 tue. 最近ミラン・クンデラにちょっと凝っている大蟻食が、まだあれを見ていなかったと言い出したので、わたしは渋谷のTSUTAYAまで 「存在の耐えられない軽さ」 を探しに行く。わたしの予想としては「フィリップ・カウフマン」コーナーか、「ダニエル・ディ・リュイス」コーナーに行けば必ず見つかる筈であったが、渋谷のTSUTAYAにはそもそも「フィリップ・カウフマン」コーナーも「ダニエル・ディ・リュイス」コーナーも存在しなかったのである。結局、自力で見つけることはできなかったので、明るい笑顔の親切な女性店員から「ジュリエット・ビノシュ」コーナーにあるということを教えてもらった。自由が丘へ戻ってから大蟻食と一緒に買い物をして、晩ご飯を食べながら前半分を見て、お茶を入れて後ろ半分を見る。で、ついでに同じく「チェコからの亡命」物ということで、 「ミクロの決死圏」 を 「映画のこと」 に追加した。 2002.10.16 wed. 大蟻食の仕事場には南に面したベランダがある。ベランダには柑橘類を中心にいくつもの鉢植えが並んでいるが、そのほかに大きな水盤がある。直径1メートルほどの円形をした鋳物の器で、これが鋳物でできた三角錐の脚に載っている。とても重い。水盤にたっぷり水を貯えておくと、ハトやカラスがやってきて水浴びをする。カラスは食べ物を洗ったりすることがある。友達になろうと思って水盤のそばで待ち構えていると、ベランダの手すりに止まって非難がましい眼差しを向けてくる。場所を明け渡せと指図をしてくるのである。カラスがするし、ハトもそうする。いけ好かないやつらだと思う。大蟻食の話では、今日、今年最初のムクドリがベランダにやってきて、水浴びをしたそうだ。まだ慣れていないので警戒しながら近づいてきて、二度ほど水浴びをしてまた飛び立っていったという。 夕食は「ぼちぼち」へ。しばらく前に近所にできた関西風のお好み焼き屋さんで、店内は昭和風、というのかちょっとレトロ風。 「オトナ帝国」 みたい、というのが大蟻食の感想である。男性ばかりの店員は威勢もいいけれど愛想もいい。お皿にもビールのグラスにも「ぼちぼち」と記されている。関西風のお好み焼きもモダン焼きというものも、わたしにはこれが初めてであった。お好み焼きは山芋のふわっとした感触がよく生かされていて口当たりがいい。焼きそばの入ったモダン焼きは少々重かったけれど、悪くない。納豆モダン焼きというのはなかなかの珍味であった。ホイルで包み焼きにしてくれたすじ肉もおいしかった。また行ってみようと考えている。ちなみに自由が丘には数年前まで「宮島」という名の広島風のお好み焼き屋さんがあって(「宮島」のあった場所には今では牛丼の松屋がある)、大蟻食とわたしはたまにそこへ出かけていってスペシャルというのを注文していた。すると東京ドームのミニチュアのような物体が出現するので、それを生ビールで流し込む。食べ終わる頃にはひどい胸焼けを味わうことになったけど、決して嫌いではなかったのである。 2002.10.17 thu. 大蟻食と一緒に文藝賞のパーティへ。山の上ホテルは久しぶりである。帰宅してから 「空飛ぶ戦闘艦」 をなんとく見始めて、眠いのを我慢しながらなぜか最後まで見てしまう。 2002.10.18 fri. 大蟻食は大学へ。わたしはゴンゾの家へ。ゴンゾはたいそう元気であった。夕方、家に戻る。大蟻食が帰ってこないので、待つ間に 「ミミック2」 を見ることにする。つまらない。見終わってもまだ帰ってこないので、待つ間に 「メガロドン」 を見ることにする。つまらない。見終わった頃に大蟻食が帰ってきたので一緒に買い物へ。夕食。食事の後はごろごろと過ごす。NHKで「ザ・ホワイトハウス」を途中から見て、テレビ朝日で「イヴのすべて」を途中から見る。マーティン・シーンの大統領は悪くない。「イブのすべて」は翻訳の台詞に言葉を詰め込みすぎているような気がした。テレビを消して、「銀河パトロール隊」(E.E.スミス,創元SF文庫)を読み終える。小隅黎氏による新訳である。この訳がすごい。素晴らしくリズミカルな日本語になっていて、声に出して読み上げたいようなところがたくさんあった。とはいえ、話の方はここまで露骨に優生学的な内容だっけ? ほとんど30年ぶりで、昔に読んだことはほとんど覚えていないのである。 2002.10.19 sat.-2002.10.20 sun. 土曜日。少々重たい感じの曇り。大蟻食は朝から学校へ。わたしは家に残って片付けをして、夕方から水道橋へ。都営三田線の駅から地上に出てきたら雨になっていた。折り畳みの傘を広げて地図を頼りにどうにか朝陽館へたどり着く。 DASACON6 の会場である。待っていると 高野史緒さん がやってくる。大蟻食もやってくる。19時に始まって参加者の自己紹介が終わると、高野さんとわたしが前に出ていろいろと質問に答えるという時間になる。いろいろと答える。1時間ほどで終了し、その後は交流会のような状態になって、わたしは 浅暮三文さん にからまれる。浅暮さんはたいそう面白い方であった。わたしが逃れることができたのは、 倉阪鬼一郎さんと 山之口洋さん が浅暮さんにからんでいったからだと思う。で、その後もあれやこれやと喋りつづけて日曜日になり、明け方近くになってもまだ起きていて、小腹が減ったのでパンを切ろうと考えたのが運の尽き。自分の部屋へ戻ってパン切りナイフでパンに切れ目を入れていったら、いっしょに自分の左手薬指も切ってしまったのである。指先の腹がざっくりと割れて血が溢れ出してきた。これはすごいとびっくりしているうちに救急車に搭載されて順天堂病院へ運ばれて、五針縫われて左手を包帯でぐるぐる巻きにされてしまう。タクシーで朝陽館へ戻るとDASACONの会場にもぐり込んでまた喋くり、夜明けのあとにちょっぴり眠ってからエンディングに出席して、井上・高野夫妻、大蟻食と一緒にミスター・ドーナツで朝食を食べて帰宅した。DASACONスタッフの皆さんご苦労様でした。参加者の皆さんありがとうございます。 2002.10.21 mon. 朝起きてまず近所の歯科へ(予約してあったので)。口の中が血まみれになる。いったん家へ戻ってよくうがいをして、それから近所にある整形外科へ。指の消毒をしてもらう。「これはくっつかないかもしれないね」と医師に脅されてちょっと心配になる。 2002.10.22 tue. 朝起きて、食事を済ませてから近所の整形外科へ。指の消毒をしてもらう。「これなら大丈夫そうだね」と医師に言われる。ちょっと安心。大蟻食は昼前に早稲田へ。わたしもすぐに後を追って早稲田へ。大蟻食の研究室で落ち合って、大学の近くにあるタイ風のカレー屋さんで昼食を取る。大蟻食は野菜のカレー、わたしはポーク・カレー。香辛料が効いていて悪くない。食事の後、商学部のキャンパスへ。何回来ても早稲田大学は広いと思う。大蟻食にくっついていってとある教室にもぐり込む。 「トーク&スライド・ショウ 写真にみるアメリカの多文化的表現 ―多様なジェンダーとエスニシティ―」というセッションである。ゲストはローリー・トビー・エディソンさんで、「常識」の隠蔽性に関心を抱いてカメラを取り、自分で選んだ被写体を通じて「常識」が不可視の領域に配置した現実を美しいモノクロームの写真に収めている。肥満した女性の裸体を写した"Women En Large"、ふつうの男性の裸体を写した"Familiar Men"、日本にいるふつうの女性の姿をふつうに写し取った"Women of Japan"などのスライドを見ながら写真とその展示を通じて意味を再構築する意図について興味深い話をうかがった(もちろん早稲田の小林先生の通訳付き)。美しい写真が多い。人間の姿が不思議なほど神々しく、それでいてなまめかしく捉えられているような気がする。スライドを見て、話を聞いて、少々考えてはみたけれど写真という媒体と写真家がフォトグラフィックだと認識する図像、その図像の連鎖またはコラージュとしての展示、という形式の関係性は頭がぐちゃぐちゃしていて整理がつかない。ただ、写真作家が展示会を通じて現実の意味を再構築しようと試みているという、そうした考え方にこれまで触れたことがなかったので面白いと思うのである。最後に小谷真理さんが講演をおこなったが、小谷さん当人も"Women of Japan"の被写体のひとりとなっている。ぼーっとしていたところを撮られてしまったらしい。セッションの後、大隈会館へ移動してエディソンさんを囲んで軽い夕食。早めに帰宅して、早めに休む。 Ms LAURIE TOBY EDISONのホームページ: http://www.candydarling.com/lte 2002.10.23 wed. 朝起きて、食事を済ませてから近所の歯科へ(予約してあったので)。またしても口の中が血まみれになる。いったん家へ戻ってよくうがいをして、それから近所にある整形外科へ。指の消毒をしてもらう。「大丈夫そうだね」と医師に言われる。また安心。 2002.10.24 thu. 朝起きて、食事を済ませてから近所の整形外科へ。指の消毒をしてもらう。「大丈夫そうだね」とまた言われる。かえって心配になる。 2002.10.25 fri. 朝起きて、食事を済ませてから近所の整形外科へ。指の消毒をしてもらう。「月曜日に抜糸しましょう」と医師に言われる。それから歯医者さんへ(予約してあったので)。こちらの流血もだいぶ収まってきた。 2002.10.26 sat. 朝日新聞夕刊の一面に「軍突入し劇場制圧」とある(ちなみに読売は「露部隊が突入、制圧」)。自爆を覚悟した武装テロリストが男女を取り混ぜてなんと50人以上もいて、という今回のこの「設定」は実を言うとナンセンスの方が先に立って現実感が乏しかった。対立するどちら側にとっても、とりわけチェチェン人の側にとって、状況は末期的なのかもしれない。とはいえ、民族を挙げての反ロシアぶりは「収容所群島」にも登場するほどの筋金入りだから、解決はだいぶ先になるのではないだろうか。同じ夕刊の死亡記事欄にはリチャード・ハリス死去とある。7/6にジョン・フランケンハイマーが亡くなり、7/9にロッド・スタイガーが亡くなって、そうしたら今度はリチャード・ハリスなのである。で、たしかに代表作が今ひとつはっきりしないひとではあるけれど、いくらなんでも 「ハリー・ポッター」 の校長先生という紹介の仕方はひどいんじゃあるまいか。似たような役だったら 「グラディエーター」 のマルクス・アウレリウスとか、 「シベリアの理髪師」 のマッドサイエンティストみたいな発明家とか、リチャード・ハリスはいくらでもやっているのである。 2002.10.27 sun. 「超少女明日香 学校編1」(和田慎二、メディアファクトリー)を読む。よくよく変わらない世界である。和田慎二のマンガの世界には21世紀は未来永劫来ないのかもしれない。「ベムハンター・ソード 1」(星野之宣、講談社)も読む。ただ復刊ということではなくて、ひとつだけ新しいエピソードが加わっている。2は出るのか? 「映画のこと」に 「フレンチ・コネクション」と 「フレンチ・コネクション2」 を追加した。そろそろ懐古特集から抜け出さないと。 2002.10.28 mon. 大蟻食はバイオリンのレッスンへ(そしてそのまま大学へ)。わたしは大蟻食を見送ってから整形外科へ。抜糸である。結び目をはさみで切って、端をピンセットでつまんで引っこ抜くのである。指先だから神経が集中しているのである。いちおう覚悟はしていたけれど、皮膚に食い込んでいるのが2本あって、こいつを抜くのはかなり堪えた。わたしが歯を食い縛って我慢していると、先生の方で代わりに「痛えええ」と言ってくれた。包帯を巻いてもらって帰宅する。午後はまず歯医者さんへ(予約してあったので)。こちらも痛い。いったん帰宅してから電車に乗って御茶ノ水の順天堂医院へ。救急外来の精算をする。2割負担で3730円。縫合の時に仮払いとして10000円預けてあったので、6270円が返ってきた。帰宅して一人で晩ご飯を食べて、 「遊星よりの物体X」 を見ながら大蟻食の帰りを待つ。それから大蟻食を駅まで出迎えて途中の酒屋で生ハムを買って、ワインを飲んで寝てしまう。 2002.10.29 tue. 午前中に整形外科医へ。ようやく包帯が取れる。というわけで傷跡をゆっくり見ることができるようになったのである。指の先端を切り落とす寸前でナイフが爪にあたって止まっていたみたい。気をつけないと。お昼は妻家房へ。ユッケジャン・スープとゴマの葉キムチを注文する。このゴマの葉キムチでご飯をくるんで食べるとおいしいのである。夜はまた「ぼちぼち」へ。スジ塩とポン酢豆腐を頼んでビールを飲んで、ぼちぼち焼きと納豆モダン焼き(結局気に入った)を食べて帰宅する。お茶を入れて、「バンド・オブ・ブラザーズ」第1部と第2部を見る。 [Band of Brothers Part1:Currahee,Part2:Day of Days] 第1部はアメリカ本土での訓練が主体で、最後の瞬間にDデイがやってきて新品の空挺部隊を乗せたC47の編隊が英仏海峡を駆け抜けていく。第2部は降下とユタビーチの上陸支援で、散り散りになったE中隊がどうにか集結を果たしてドイツ軍の野砲陣地に攻撃を仕掛ける。この2話で事実上の主人公であるウィンターズ中尉が紹介されるという仕組みになっているようだ。手間と時間と金をかけた真面目な仕事ぶりに感心した。複合的で雑多なエピソードを短縮されたアテンション・スパンの中で巧みにつないでいく手法は「ER」で培われたものであろう。歴史的な状況を主軸に置いて、それ以上のストーリーを追加しないという姿勢も好感が持てる。C47の編隊飛行とそれに続く降下の場面は特殊効果に粗さを感じたが、もしかしたら技術的に難しいのかもしれない(見ているうちに 「メンフィス・ベル」 の特殊効果の奇妙なばらつきを思い出した)。とはいえ迫力は十分に備えていたし、空挺部隊が目標の手前で降下してしまう事情も説明されていて、実に興味深い場面になっている。 2002.10.30 wed. 朝起きて、食事を済ませてから近所の歯科へ(予約してあったので)。夕方、渋谷へ出てサウスパークの11巻を購入する。これで第3シーズンが全部そろったと思っていたら、大蟻食のチェックでやっぱりな事実が判明する。「ちんぽこもん」のエピソードがカットされていたのである。任天堂が邪魔をしたのであろうか? それとも天皇ヒロヒトがまずかったのであろうか? どちらにしてもケツの穴が小さいぞ。晩ご飯を食べながら取り合えず字幕入りでサウスパークの4エピソードを見て、それから大蟻食のフランス製「サウスパーク」DVDで「ちんぽこもん」を鑑賞する。なんだ、どうということはないじゃないか、えっ? 2002.10.31 thu. 紀伊国屋サザンシアターで午後6時から早川書房主催「Jコレクション刊行記念フォーラム」。「新世紀SFの想像力」ということで、2部構成のパネル・ディスカッションがおこなわれた。第1部は「最先端科学のフィクション」。パネラーは神林長平氏、小林泰三氏、菅浩江氏、野尻抱介氏、林譲治氏、平谷美樹氏。第2部は「想像しえないことを想像する」で、パネラーが山田正紀氏、北野勇作氏、高野史緒氏、田中啓文氏、飛浩隆氏、牧野修氏、わたし。進行役は第1部、第2部ともにSFマガジン編集長の塩澤氏であった。第1部と第2部の間で牧野修脚本、北野勇作朗読、田中啓文演奏のパフォーマンスがおこなわれる。「即興性」をことごとく織り込んでしまった牧野さんの脚本は労作であろう。北野さんがそれをひどく剣呑な様子で読み上げると、田中さんがサックスの攻撃的な演奏で応えるという形になっていた。才能に恵まれた人々がうらやましい。パネル・ディスカッションの後はサイン会(来てくださった皆さん、ありがとうございます)。 午後9時、サザンシアターを出て懇親会の会場へ。到着したとたんに高野史緒さんと大蟻食から相次いで電話。「どこにいるのか?」と詰問される。わたしは行方不明になっていたらしい。一緒に移動する筈のところをわたしが一人で勝手に移動してしまったからである。お騒がせしました。会場では浅暮三文さん、倉阪鬼一郎さん、飯野文彦さん、東浩紀さん、大下さなえさん、粕谷知世さん、高野史緒さんの 妹さん 、高野史緒さんの いのどん に挨拶をして、小谷真理さんに指の傷跡を見せて嫌われて、それから巽孝之氏にマーク・アメリカ氏を紹介していただく。ロートレアモン、サド、ポップスなどを題材に取ってかなり込み入った小説を発表している方で( GRAMMATRON というサイトではハイブリッド化されたテキストを公開している)、しかも驚いたことにトレイ・パーカー(サウスパーク)の先生でもあった(記念に握手してもらった)。ファミリー・ネームのアメリカはamericaではなくてamerikaで、実はカフカの「アメリカ」であるという。というわけで、おもにカフカについて一風変わったお話をうかがう。午後11時、山田正紀さんの挨拶でパーティはお開きに。ワシントン・ホテルのバーに移動して二次会。藤原ヨウコウさんに挨拶する。飛浩隆さんから「グラン・ヴァカンス」の今後の構想についてお話をうかがう。浅暮さんからも次回作の構想をちょっとだけうかがう。たぶん午前2時頃、お開きに。新宿駅西口方面へ移動して三次会。浅暮さんがわたしにからんできた、と思ったら次の瞬間に浅暮三文vs東浩紀の戦いになる。どちらも実に獰猛であった。でもなんだか気がついたら浅暮さんは眠っていて、東さんには大蟻食が噛みついている。4時頃まで飲んで、明け方の5時に帰宅(早川の阿部さん、塩澤さん、最後までほんとうにご苦労様でした)。 |