存在の耐えられない軽さ
- Aloysius' Rating: 7/10
The Unbearable Lightness of Being (USA 1988,173min.)
[D] Philip Kaufman,
[W] Jean-Claude Carriere,Philip Kaufman (NOVEL:Milan Kundera),
[C] Daniel Day-Lewis,Juliette Binoche ,Lena Olin,Derek de Lint,Erland Josephson,Pavel Landovsky,Donald Moffat
1968年のプラハ。脳外科医トマシュは色ボケのチェコ人の中でも際立った色ボケでスポーツ感覚で女をとっかえひっかえしていたが、ある日出張で訪問した温泉場でウエイトレスをしていたテレーザと知り合う。テレーザはトマシュを追ってプラハまでやってきて、押しかけるようにして同棲状態に持ち込むと、二人はやがて結婚することになるのである。ところがトマシュは女性関係の開拓をやめようとしないのでテレーザは嫉妬に身を焦がすことになる。そしてこの二人に遂に破局が訪れようとした頃、チェコ人どもの色ボケ状態を見るに見かねたロシア人が戦車を連ねてプラハに侵攻し、いわゆるプラハの春はおしまいとなる。写真の才能を持つテレーザはロシアの戦車とやりあう多数のプラハ市民をフィルムに収め、フィルムは警察に押収されることで抵抗勢力あぶり出しの材料となってテレーザを苦しめる。そこでトマシュとテレーザはスイスへと亡命するが、ジュネーブでの生活になじめないテレーザはトマシュを残してプラハに戻り、テレーザの身を案じたトマシュもまたプラハに舞い戻る。トマシュは過去の体制批判を理由に医学界から追放されて窓拭きに身を落とし、テレーザはバーに勤め口を得るが、秘密警察の黒い影を感じて心を乱す。テレーザがプラハではもう暮らせないと主張するので二人は知り合いを頼って田舎に逃れ、やがてトマシュは農夫にテレーザは牛飼いになり、トマシュの色ボケはどこかへ消えて限りない幸せを感じたとたんにこの夫婦は交通事故で死んでしまう。ミラン・クンデラのかなり込み入った造りの小説からストーリーだけを抜き出して映画化した模様である。3時間の上映時間はやや長さを感じるが、フィリップ・カウフマンは多彩なエピソードを手際よく詰め込んでいるのでそれほどの退屈さは感じない。問題は心象描写があまりにも正直で芸がないということと、にやけたダニエル・デイ・リュイスの放蕩生活にどこまでこちらが我慢できるか、ということになるのだろうか。特に後者についてはインモラルなのではなく、挨拶代わりに行為に耽っているような気配があって、見ているうちに呆れてくるのである。同じ役でもクラウス・マリア・ブランダウアーあたりがやっていたら、だいぶ雰囲気が変わった映画になったかもしれない(それはそれで暑苦しくて誰にも見れないかもしれないけれど)。ロシア軍のプラハ侵攻の場面は特筆すべき迫力があり、実を言うとここだけでも見る価値がある。内務省の役人の役でダニエル・オルブリフスキーがちらっと顔を出しているのが懐かしかった。