2009.08.01 sat.
お昼は大蟻食と一緒にインディアへ。杖をついてよたよたと歩いているので、歩く速さがいつもの五分の一くらいになっている。食事のあと、かき氷を食べて、買い物をして帰宅。かなりくたびれたので横たわって傷を冷やす。夜、大蟻食と一緒にビデオで 『対独爆撃部隊ナイトウィッチ』 を見る。女性兵士ばかりの爆撃部隊の話である。ところで大祖国戦争の女性兵士というと映画でも 戦争絵画(ここは1ページに大量の絵が入っているのでちょっと重たい。Natasha Kachuevskaya 、 Valeria Gnarovskaya のスカートのすそのあたりに注目する) でも必ずスカートにブーツといういでたちで、この映画も例外ではない。 『ヨーロッパの解放』 でもそういう格好の看護婦がクルスクの最前線を走りまわっていたりするので、もう少しましな格好をしたらどうかなどと考えていたが、女性兵士の証言を集めたスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(群像社)を読むと、あんなのは嘘よ、と怒っているひとが多いのである。やはり実際には男性兵士用の服を丈を詰めて着ていたらしい。女性用の下着、つまりブラジャーのたぐいが支給されたのはポーランドに入ってから、と言っているひともいるので、もしかしたら支給されないままドイツまで行ったひともいたのかもしれない。死にたくない、ではなく、男のパンツをはいて死にたくない、と思っていたという証言もある。下着のことはとにかくとしても、女性兵士はスカートとブーツというお約束は女性兵士の怒りとはまったく無関係に徹底していて、これはたぶん、あの恰好で膝小僧がちょこっと見えるのが、男どもの微妙な萌え要素になっているからなのではあるまいか。ということで、こういうところでも性は消費されているのである。
2009.08.02 sun.
夜、大蟻食と一緒にビデオで 『鷲は舞い降りた』 を見る。やはり大蟻食とジャック・ヒギンズは相性がよろしくない。
2009.08.03 mon.
夜、大蟻食と一緒にビデオで 『ファイブ・デイズ・ウォー』 を見る。第一次大戦を扱ったテレビ映画である。
2009.08.07 fri.
夜、大蟻食と一緒にビデオで 『少年メリケンサック』 を見る。
2009.08.08 sat.
朝、大蟻食と一緒に六本木へ。 『G.I.ジョー』 を見る。いつもの皆さんと食事をして帰宅。夜、大蟻食と一緒にビデオで 『ベッドタイム・ストーリー』 を見る。
2009.08.09 sun.
夜、大蟻食と一緒にビデオで 『いのちの戦場』 を見る。
2009.08.10 mon.
台風9号の影響で激しい雨。抜杭。左脚のもものやや左側に作られた20センチ弱の傷をとめている18個の歯を取り除く。医師が終了宣言をしたので、ここまでの経過をまとめておく。左のももの上部に力の入れ加減で奇妙な隆起が現れることに気がついて、なんだろう、とは思っていたものの、自分のからだのことにあまり関心がないので放っておいたところ、大蟻食がかなり大きいのではないか、と指摘したのでちょっと気になって近所の整形外科へ。レントゲン検査をしてみるとかすかに黒い影のようなものが写ったので医師は水ではないか、と診断し、とは言え、水を抜くにしてもきちんとした検査のできる病院でやったほうがよい、ということで近所の総合病院に紹介状を書いてもらう。その総合病院でレントゲン検査、MRI検査を受け、かなり大きいものの、良性の腫瘍または脂肪腫である可能性が高いと言われ、こういうことならば腫瘍をきちんと扱える病院で処置を受けたほうがいいということになり、駒沢にある国立医療センターと旗の台にある昭和大学病院のどちらがいいか、と訊かれたので、旗の台のほうがアクセスが楽だし、昔住んでいたことがあるし、清水台小学校には四年間も通ったし、などとあまり関係のないことを考えながら、昭和大学病院に宛てて紹介状を出してもらい、レントゲンおよびMRIの写真の貸し出しを受けて帰宅。わたしの輪切り写真を見て大蟻食が大喜びしたことは言うまでもない。昭和大学病院でも同様の所見が出され、その日のうちに入院、手術の日程が決まり、脚部、胸部のレントゲン撮影をして、心電図を取り、血液検査を受け、さらに造影剤を使用したCTの予約、核医学検査(ガリウムシンチ)の予約をする。最初に訪ねた整形外科へ行って写真を見せながら経過を報告。翌週、CT、ガリウムシンチの検査を受けると、二週間足らずのあいだに医学検査用のばかでかい輪っかを三つくぐったことになり、検査中は寝ているだけであるにもかかわらず、けっこう疲れる。7/24にそれまでの検査結果の総括を聞き、当初の所見、予定に変更がないことを知らされる。週が明けた7/28の午前中に入院、手術チーム、麻酔チームの紹介を受け、説明を聞き、同意書にサインし、夕食のあとでシャワーを浴び、翌日の昼から手術。腰椎麻酔の処置にはほとんど痛みを感じない。麻酔が効いてくると腹部から下の感覚がなくなり、横隔膜もなかば麻痺したような状態になり、大きな呼吸ができなくなる。また、からだを伸ばして横たわっているにもかかわらず、腰、膝を曲げているような感覚を覚える。麻酔医の説明では、これが正常な反応らしい。手術中、眠っていたければ睡眠薬を出しますが、どうしますか、と訊かれたので、起きています、と答える。とはいえ、胸の上に衝立を作られてしまうので手術が見えるわけではない。手術が始まるやいなや、衝立の向こう側で執刀医が「サイテー」とつぶやく声を聞く。なにがあったんですか、と横にいた看護師にたずねると、消毒薬をこぼしてしまいました、と返答がある。そこから先も進行状況のことでいろいろと質問をさせていただいた。筋肉、神経に傷をつけないようにしながら腫瘍を丸ごと取り出すためか、切開してからの時間が長い。手術室に入ったのが11時半ごろ、手術の終了は2時ちょうど。見ますか、と執刀医がたずねたので、ぜひ、とお願いして摘出したものを見せてもらう。こぶし大の脂身で、医師が指先で押した様子からするとかなりの弾力がある。ストレッチャーにのせられて入院棟に戻り、ずっと待っていてくれた大蟻食と再会する。わたしの両親も様子を見にやってくる。麻酔は夕方までに切れて、そこから先は切開されたところがふつうに痛い。病室では水と抗生剤の点滴を受け、導尿用のカテーテルをつながれ、脚には血栓防止のために医療用の弾性ストッキングをはかされ、さらに両足の裏にこれも血栓防止用のポンプをあてがわれ、翌朝までその状態なので一睡もできない。朝、点滴、カテーテルがはずされ、ポンプも取り除かれ、ようやくほっとしたところで手術チームが傷口を診て、ガーゼが透明のテープに変更される。傷口がよく見える。けっこう大きいですね、と言ったら、摘出に必要なサイズです、と言われる。歩く許可が出たので立ち上がってみるが、左脚が突っ張って満足に前に進めない。一日、廊下の手すりをたよりに病棟内をうろうろする。疲れるとベッドに戻ってアイスキュロスを読んでいた。午後には看護師から退院後の注意事項について説明を受け、翌朝、予定どおり退院となる。大蟻食が迎えに来てくれたので、皆さんに挨拶をして帰宅、というか、すでに昼時だったので、タクシーを泰興楼に横づけしてもらって、担々麺を食べて帰宅する。病院の食事はそれほど悪いものではなかったが、はっきりとした味付けに飢えていたみたい。ここまでの医療処置にかかった費用は、MRI(脚部)が6690円、CT(造影剤使用、脚部)が7440円、ガリウムシンチが18450円、その他検査費用が10000円弱、入院・手術費用が66389円(いずれも本人負担分)。なお、摘出した部分の病理検査の結果は診断どおり、脂肪腫であった。
2009.08.12 wed.
一直線の傷の両側に虫の気孔みたいな塩梅で穴が36個も並んでいるのはちょっと気色悪いと思う。大蟻食は新潟へ。
2009.08.14 fri.
夜、ビデオで 『感染列島』 を見る。
2009.08.15 sat.
朝、ビデオで 『252 生存者あり』 を見る。見終わったあと、実家に顔を出す。夕方、帰宅。ビデオで 『愛のむきだし』 を見る。
2009.08.16 sun.
頭痛と熱。終日ぐったりとして過ごす。
2009.08.21 fri.
ひさしぶりに 『インナー・サークル』 を見る。
2009.08.22 sat.
DVDが出ていた、ということに気がついたので 『スローターハウス5』 を見る。それから、ようやく、という感じで 『ブラインドネス』 を見る。さらに、ついでに、という感じで 『イーグル・アイ』 も見る。
2009.08.23 sun.
ビデオで 『ズール戦争』 を見る。「GAMEのこと」に 『セインツロウ2』 を追加した。
2009.08.28 fri.

2009.08.29 sat.
朝、新宿へ。新宿ピカデリーで 『3時10分、決断のとき』 を見る。昼食を済ませて帰宅。リメイクつながり、ということでふと思い立って、ビデオで 『センター・オブ・ジ・アース』 を見る。
2009.08.30 sun.
香琳(姪)が香琳のパパと自由が丘にやって来たのでカプラ・チッチョでお昼を食べ、モンブランに移動してデザートを食べる。買い物をして帰宅。ビデオで 『グストロフ号の悲劇』 を見る。
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