2003.02.01 sat.
環八沿いのスーパー田園でコリアンダーを買う。立派なコリアンダーであった。実は自由が丘周辺でも二子玉川でもコリアンダーが見つからなかったのである。夜、大蟻食がインド料理を作り(野菜の炊き込み御飯、マトンとほうれん草のカレー、キャベツのカレー、ヒヨコ豆のカレー)、巽・小谷夫妻と会食。アロイシアス(うちのクマ、12歳)が小谷さんに握手してもらう。

2003.02.02 sun.
なんだか寒い。大蟻食は聖歌隊の仕事で帰宅が遅くなる。

2003.02.03 mon.
「アホでマヌケなアメリカ白人」(マイケル・ムーア、松田和也訳、柏書房)を読む。民主党シンパの反ブッシュ本かと思っていたら、もっと全然ラディカルで、しかもベビーブーマーのカトリックで、ラルフ・ネーダーのシンパの反権力本だった。猛烈な勢いで語りかけるような例の調子としばしば出所が明示されていない統計情報、しかもある数値は単位がドルなのに別の数値はパーセンテージで示されていて、それなのにその意図は説明されていないといったあたりは、読んでいるこちらに眉唾な気持ちを起こさせるのである(あと、訳も訳者のあとがきもはしゃぎすぎ)。ブッシュがアホだという部分も含めて書かれていることの七割は事実だと思うけど、ことさらに善良で単細胞な攻撃性はかえってスタイルを予感させて書き手の真意を疑わせることになる。どうも我が家ではラディカルなリベラルよりは、シニカルに共和党支持を表明するP.J.オロークの方が評判がよい。

2003.02.04 tue.
「アクロポリス - 友に語るアテナイの歴史」(ヴァレリオ・マッシモ・マンフレディ、草皆伸子訳、白水社)を読み終える。訳者あとがきによると著者はイタリアの作家で歴史や考古学ミステリーを題材にした著作があり、アレクサンドロスに関する作品はすでに訳があって、徳間書店から刊行されているらしい。わたしはアテナイの歴史を扱った本書が初めてである。冒頭、1960年代初頭の学生時代にギリシアを貧乏旅行でまわった思い出が語られ、ギリシアの友人との友情が語られ、それからアテナイの歴史が神話時代からソクラテスの時代まで記されて、各章の合間に友人から寄せられた感想などが織り込まれるという少々凝った形式が採用されている。著述の姿勢は良くも悪くも情緒的で、つまり歴史に対して抱くロマンとエキゾチシズムを隠そうとしていない。歴史書としての正確さはないし、その点では少なからぬ不満を感じたが、読み物としては面白かった。

2003.02.08 sat.
ここ数日、大蟻食がちょっと風邪気味。わたしも今日はなんだか変。唐突に韮と卵の雑炊が食べたくなって母に電話してレシピを聞く。夕方、一人で 「ウインドトーカーズ」 を見る。噂には聞いていたけれど、たしかにひどい。これならまだ真面目に作っているだけ、 「シン・レッド・ライン」 の方がましかもしれない。で、夜は韮と卵の雑炊で、それを大蟻食と一緒に食べながら 「ニューヨークの恋人」 を見る。

2003.02.09 sun.
朝起きたら風邪を引いていたのでおとなしくして、大蟻食と一緒に 「モンスーン・ウェディング」を見る。見る価値はあったけど、途中でかなり眠たくなった。

2003.02.11 tue.
大蟻食と一緒に 大串尚代さんの結婚式及び披露宴に出席する。実に立派な新婦であった。それに新郎の幸せそうな顔といったら。というわけでお幸せに。
「亭主の日々」もこれでようやく3周年(まだやるのか?)。

2003.02.13 thu.
大蟻食はルディ(くたくた犬)と一緒にウィーンへ(フランクフルト経由)。

2003.02.14 fri.
大蟻食とルディがウィーンに到着。ホテル・ザッハに宿を取って、サービスのザッハ・トルテがピースで来たと文句を言っている。丸ごとほしかったらしい。

2003.02.15 sat.
大蟻食とルディはホテルを出てアパートへ移動。わたしは頭痛でダウン。

2003.02.16 sun.
起き上がれないので横たわったままエミール・ゾラ「ボヌール・デ・ダム百貨店」(伊藤桂子訳、論創社)を読み終える。本邦初訳だそうである。
1864年の秋、貧しいドゥニーズ・ボーデュは着の身着のままの姿で弟二人を連れて叔父を頼ってパリへ出るが、叔父のラシャ店は経営がひどく傾いていて、まわりの伝統的な小商店も同様の状態で、それというのも目の前に巨大百貨店ボヌール・デ・ダムが出現したからであったが、そのようなわけで商店街はすでに破産の秒読みに入っていて、それでも断固として抵抗を試みる叔父の一家は暗い窓辺に並んで暗い目つきで百貨店をにらみ、もちろん叔父は演説をぶち、とはいえドゥニーズを雇う余裕はなかったので金髪をしたこの清楚な娘は向かいの百貨店に売り子の職を得るのであった。すると同僚の売り子はいじめてくるし、主任はただもう恐ろしいし、親切だと思っていた監視官(万引き対策の)には下心があるし、なけなしの蓄えは美貌の弟の小遣いに消えてしまうし、悲しいことばかりで泣かずに眠れる夜はない。
いつものゾラの小説ならば巨大資本に立ち向かった商店主が敗北の坂を絶望的に転がり落ちていくか、さもなければ巨大資本を糧に冒険を挑んだ百貨店のオーナーが仕入れにしくじって敗北の坂を絶望的に転がり落ちていくか、あるいはどちらでもいいけれど売り子になった娘が悲惨の坂を絶望的に転がり落ちていくか、そのあたりの展開を予想するのだけど、今回はランチエの一族がからんでいないせいなのか、約束どおりに商店街は全滅するものの未来の息吹をはらんだ百貨店は楽観的かつ壮大に広がり、ヒロインは幸福になるのである。で、一段組みとはいえ500ページを越える大部の、もしかしたら半分くらいが百貨店の店内のディスプレーと買い物の描写で占められている。察するに大量消費社会の出現というのは相当にショッキングなものだったのであろう。百貨店側は目玉商品にだけ採算割れの価格設定をしているし、消費者は迷路のような売り場の中で余計な商品を買わされているし、賢明な主婦は値下げ時を知っていてセール期間中でも買い控えている。そして賢明な主婦も賢明でない主婦もいわゆるプチブル階級に属しているけれど経済的にはそれほど豊かではなくて、ただむやみと消費行動を刺激されて何も用がなくても百貨店に引き寄せられているのである。百貨店そのものに関わる圧倒的な描写量は物語を脇に押しやっている。おそらくゾラは小説ではなくてルポルタージュを書くべきだったのかもしれない。売り子という新しい職業を話の中心に据えたものの、展開に困って色恋に染め上げていかなければならなくなった模様である。というわけで泣き虫の田舎娘ドゥニーズは中盤から新しい世代の女性の象徴的な存在へ、天然自然のフーリエ主義者へと立ち位置を変えて速やかに尊敬と崇拝を獲得していく。もちろんそれでも面白いけど(ゾラだから)。

2003.02.22 sat.
ちょっと早起きをして渋谷へ。パンテオンで 「二つの塔」 を見る。初日の一回目で8割ほどの入り。
「映画のこと」に、あわせて 「ビロウ」「レッド・ドラゴン」「鬼が来た」「テキサス・レンジャーズ」 を追加した。

2003.02.27 thu.
恵比寿ガーデンシネマで 「ボウリング・フォー・コロンバイン」 を見る。1回目、ほとんど満員。マイケル・ムーアのやり方は、わたしはやはり好きになれない。
「映画のこと」に、あわせて 「ジャスティス」「チョコレート」 を追加した。
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