2001.10.1 mon.
雨。なんとなく
「ジャバーウォッキー」
を見始めたら、最後まで見てしまう。やっぱり好きなんだね。 2001.10.5 fri
香港映画はあまり見ないのだが、ふと思い立って
「東京攻略」
を見る。悪くはないのであった。日本映画になぜこれができないのか、と思うといささか不思議な気がするが、やる気の問題なのだろうか、それとも予算の問題なのだろうか。引き続き、前からちょっと気になっていた
「24時間」
を見る。これははずれ。
2001.10.6 sat
自由ケ丘は女神祭である。南口側(「マリークレール通り」という)もフランス国旗をそこら中にぶら下げてお祭りモードに入っていて、例によってワインやフランス料理の屋台が出る。妻家房の屋台も出ていたので、ここでプルコギ丼とチヂミとキムチとドッポッキ(店の方のメニューにはドッグホーキと書いてある)を買って、それでお昼にする。大蟻食はワインとチーズを買い求めたので、夜はワインを抜いて、バゲットにゴルゴンゾーラをのっけて、まず
「クリムゾン・リバー」
を見る。話が破綻しているような気がしてならないのだが、それでも一応の見応えはあった。引き続き、
「リトル・ニッキー」
を見る。たしかにおバカな映画であった。
2001.10.7 sun
昼から大学時代の友人が娘を連れて遊びにくる。父親というのが特撮系ビジュアルの専門家で、娘にも英才教育を施しているなど聞いていたので、それなら、ということで親子で「テレタビーズ」のビデオを観賞してもらう。思わず見入る自分の娘(いい子だからタビーバイバイの時間にはちゃんとバイバイをしていた)に父親は激しく苛立っていた。特撮系ビジュアル英才教育もこれで5年くらいは後退したのではないかと思う(二歳の子だけど)。ちなみに我が家では小さな子を見ることがほとんどないので、うちのぬいぐるみどもはたいそう興奮して襲いかかっていた。反撃されて目玉突かれたりして、けっこうな騒ぎなのであった。
2001.10.8 mon.
雨。ごろごろしていた。
2001.10.13 sat. - 2001.10.14 sun.
どうにもくたびれている。映画を見ようという気にもならない。困ったものだ。大蟻食は米文学会で盛岡へ。
2001.10.16 tue.
夜、大蟻食と一緒に「椙山久美 ヴァイオリン・リサイタル」へ。浜離宮朝日ホールである。四切れ700円のサンドイッチは法外ではないか?
2001.10.20 sat.
どうにも朦朧としている。久々に大蟻食と一緒にビデオを見る。
「102」である。
2001.10.21 sun.
夕方から大蟻食と一緒にわたしの実家へ。早めに帰宅して寝てしまう。なんとかこの脱力状態から脱出しないとね。
2001.10.23 tue.
デイヴィッド・ハルバースタム「ベスト&ブライテスト」を読み終える。アメリカのベトナム政策に関する政治的なルポルタージュである。やや特異なタイトルは「東部エスタブリッシュメントを中心としたワシントンのエリートがなぜあの泥沼にはまり込んだのか?」というような意味で、アイロニーが込められているらしい。実際、記述の相当量は政治エリートのプロファイルで占められていて、これがなかなかに面白かった。政策決定そのものの(うんざりするような)プロセスも、無用の駆け引きによる政治的混乱の見本市のような状態に描かれていて、読み応えのある内容となっている。とりわけケネディ政権期のベトナムへの対応に関する部分で、その精神的な背景をマッカーシズムの傷跡で説明するくだりは、これまで意識したことがなかっただけに興味深かった。 2001.10.26 fri.
大蟻食が通販でイクラその他を大量に仕入れたので、今晩はお寿司。
2001.10.27 sat.
昼から大蟻食と一緒に渋谷へ。
「トゥームレイダー」
を見る。客は7割ほどの入り。本当に期待していたんだけど、やっぱりサイモン・ウエストではだめか。帰宅の途上、モンブランに寄ったらショーウィンドウの中のケーキがほとんど全滅状態になっていた。何があったのだろうか。残っていた中から2つずつ選び、ついでに大蟻食の低血糖対策にプラムケーキ(いわゆるフルーツケーキである)も買ってから、紅茶屋でいつも飲んでいるプリンス・ウラジミール(ロシア系のフレイバー・ティー)の補充とセイロン系のキャリントンを買って家へ戻る。キャリントンでケーキを食べた。この品種の紅茶は初めてだけど、おいしいと思う。香りがよくて、優しい感じである。夜は昨日の残りのイクラその他でまたお寿司。早く食べないとね。ところでリドリー・スコットの新作「ブラックホーク・ダウン」というのはマーク・ボウデンの「強襲部隊」の映画化なのかな。
2001.10.28 sun.
塚本青史「小説ペルシア戦争I マラトン」(幻冬舎)を読む。日本のプロ作家の作品でペルシア戦争物というのは、わたしの知るかぎりでは過去に例がない。まったく未開拓の領域であり、そうした世界を一般読者を対象に説明する作業にはおのずから困難がともなう。そしてその観点からすれば、「マラトン」にはそれなりの努力は感じられるのではないだろうか。ただ、あの長大なタイム・スパンに必然性があったとは思えないし、こちらとしてはタイトルが「マラトン」である以上、マラトンの戦いを主軸に置いてほしかったところではある。それが最後の10ページばかりというのは少々寂しい。また、わたしは時代考証に重きを置く人間ではないものの、いくつかの重要な逸脱は問題にしたい。「マラトン」では将軍(ストラテゴス)があたかもミルティアデス一人であるかのように描かれていたが、実際にはほかに9人いた。一応はその合議によって対ペルシア戦略が決定されていた筈である。したがってマラトンで戦端を開くまでの政治的サスペンスが存在した筈なのだが、これは見事に省略されていた。それからストラテゴスやアルコンがあたかも地位であるかのように描かれているが、どちらかと言えば役目に属するものであって、無条件に与えられる権威ではない。ミルティアデスがペルシアで軍役についていたという話は初耳である。これは創作であろうか。ケルソネソスの僭主だったという話の方が、以降のイオニア反乱に話が結びやすかったのではないかと思えてならない。デルポイの神託が大吉、大凶というのはいただけない。仮に趣味の問題だとしても、会話で「みども」「おぬし」はやめてほしい。アリステイデスやテミストクレスの人物プロファイルには疑問が残る。ピタゴラスの学徒がアテナイをうろうろしていたが、うろうろしていた理由があれだけだったとするならば、物語のコスト・パフォーマンスが悪すぎる。というわけで次巻に期待したい。 |