2001.10.1 mon.

雨。なんとなく 「ジャバーウォッキー」 を見始めたら、最後まで見てしまう。やっぱり好きなんだね。
ところでわたし自身について、インターネット上に日記らしきものが公開されているにもかかわらず、わたしが作家活動を続けているかどうかがわからないのは変だという意見があった。言われてみればそのとおりだという気がしないでもないが、実は自分のことを説明するのがひどく嫌いだったりするのである。

それでもとにかく、そのあたりの状況について簡単にお知らせしておきます。

いちおうこちらの認識としては、作家活動は現在もなお継続中です。
まず、9月に刊行された異形コレクション「玩具館」(井上雅彦氏監修、光文社)に小さな短編が載っています。
長編は3作目の「妻の帝国」がかなり前に完成しています。一人称の作品で、自分ちの女房がSOHOで独裁者を始める話ですが、わたしが意図した範囲ではお笑いは入っていません。
それから今年の春には長編4作目「熱帯」が完成しています。日本の夏は暑いという話ですが、そこへ謎の秘密結社や外国の間諜、謎の官僚組織や謎のソフトウェア開発プロジェクト、謎の水棲生物などが絡みます。
で、昨日(9/30)のことですが、短編集「アニシカ王」が完成しました。
"その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。"
で始まる45の超短編(平均6-7枚?)で構成されていて、なぜ45かというと、それぞれのタイトルが「あ」で始まって「ん」で終わっているからですね(や行は3音、わ行は1音で数える。ああ、間抜けなことをやった)。

さて、残念ながら今のところ「妻の帝国」も「熱帯」も本になる見込みは立っていません。完成したばかりの「アニシカ王」のことは言うまでもありません。出版状況がきわめて悪いということと、あと、わたしの書く物のポジションがはっきりしないということも多少は関係しているのかもしれません。「ぬかるんでから」がああして刊行できたのは、文藝春秋の担当編集者がとても頑張ってくれたからです。ただ、あきらめているわけではありませんので、そのうちになんとかなるでしょう。
なお、当面は長編5作目の検討を進めながら、来春刊行予定の「SFバカ本」(大原まり子氏/岬兄悟氏監修、メディアファクトリー)に何かを書くということになっています。



2001.10.5 fri

香港映画はあまり見ないのだが、ふと思い立って 「東京攻略」 を見る。悪くはないのであった。日本映画になぜこれができないのか、と思うといささか不思議な気がするが、やる気の問題なのだろうか、それとも予算の問題なのだろうか。引き続き、前からちょっと気になっていた 「24時間」 を見る。これははずれ。


2001.10.6 sat

自由ケ丘は女神祭である。南口側(「マリークレール通り」という)もフランス国旗をそこら中にぶら下げてお祭りモードに入っていて、例によってワインやフランス料理の屋台が出る。妻家房の屋台も出ていたので、ここでプルコギ丼とチヂミとキムチとドッポッキ(店の方のメニューにはドッグホーキと書いてある)を買って、それでお昼にする。大蟻食はワインとチーズを買い求めたので、夜はワインを抜いて、バゲットにゴルゴンゾーラをのっけて、まず 「クリムゾン・リバー」 を見る。話が破綻しているような気がしてならないのだが、それでも一応の見応えはあった。引き続き、 「リトル・ニッキー」 を見る。たしかにおバカな映画であった。


2001.10.7 sun

昼から大学時代の友人が娘を連れて遊びにくる。父親というのが特撮系ビジュアルの専門家で、娘にも英才教育を施しているなど聞いていたので、それなら、ということで親子で「テレタビーズ」のビデオを観賞してもらう。思わず見入る自分の娘(いい子だからタビーバイバイの時間にはちゃんとバイバイをしていた)に父親は激しく苛立っていた。特撮系ビジュアル英才教育もこれで5年くらいは後退したのではないかと思う(二歳の子だけど)。ちなみに我が家では小さな子を見ることがほとんどないので、うちのぬいぐるみどもはたいそう興奮して襲いかかっていた。反撃されて目玉突かれたりして、けっこうな騒ぎなのであった。


2001.10.8 mon.

雨。ごろごろしていた。


2001.10.13 sat. - 2001.10.14 sun.

どうにもくたびれている。映画を見ようという気にもならない。困ったものだ。大蟻食は米文学会で盛岡へ。


2001.10.16 tue.

夜、大蟻食と一緒に「椙山久美 ヴァイオリン・リサイタル」へ。浜離宮朝日ホールである。四切れ700円のサンドイッチは法外ではないか?


2001.10.20 sat.

どうにも朦朧としている。久々に大蟻食と一緒にビデオを見る。 「102」である。


2001.10.21 sun.

夕方から大蟻食と一緒にわたしの実家へ。早めに帰宅して寝てしまう。なんとかこの脱力状態から脱出しないとね。


2001.10.23 tue.

デイヴィッド・ハルバースタム「ベスト&ブライテスト」を読み終える。アメリカのベトナム政策に関する政治的なルポルタージュである。やや特異なタイトルは「東部エスタブリッシュメントを中心としたワシントンのエリートがなぜあの泥沼にはまり込んだのか?」というような意味で、アイロニーが込められているらしい。実際、記述の相当量は政治エリートのプロファイルで占められていて、これがなかなかに面白かった。政策決定そのものの(うんざりするような)プロセスも、無用の駆け引きによる政治的混乱の見本市のような状態に描かれていて、読み応えのある内容となっている。とりわけケネディ政権期のベトナムへの対応に関する部分で、その精神的な背景をマッカーシズムの傷跡で説明するくだりは、これまで意識したことがなかっただけに興味深かった。
ベトナム戦争を論ずる上では重要な著作だと思えるが、難点があるとすればハルバースタム本人がベトナム戦争を至近距離で見ていることであろう。本書の成立時期からすれば無理もないということもできようが、そのために60年代リベラルに固有の楽観的な視野から逃れることができずにいる。一般的な政治意識としては現在もなお有効であり、理想を語る上では望ましい姿勢であるものの、その支柱が相変わらずウィルソン主義にあるとするならば、それをもって国際関係を論ずるのは危険過ぎると言わざるを得ない。つまりアメリカが反共主義に拘泥して根本にある民族主義を黙殺したと後から言うのは簡単だが、民族主義を尊重するあまり、そこに介在する政治的イデオロギーを度外視する姿勢には問題があろう。どちらを選択した場合でも、必ず後から面倒が起こるという点をハルバースタムは指摘し忘れている。素朴な判断に基づく民族の自決がベトナム戦争以降の世界でいかなる災厄をもたらしたかは、我々の記憶に新しいところである。民族問題は無視できない要素ではあるが、それを近代国民国家と同一のフレームに収めてはならない。もし安定を求めるならば、これが21世紀における国際政治の中心的な課題となる筈である。



2001.10.26 fri.

大蟻食が通販でイクラその他を大量に仕入れたので、今晩はお寿司。


2001.10.27 sat.

昼から大蟻食と一緒に渋谷へ。 「トゥームレイダー」 を見る。客は7割ほどの入り。本当に期待していたんだけど、やっぱりサイモン・ウエストではだめか。帰宅の途上、モンブランに寄ったらショーウィンドウの中のケーキがほとんど全滅状態になっていた。何があったのだろうか。残っていた中から2つずつ選び、ついでに大蟻食の低血糖対策にプラムケーキ(いわゆるフルーツケーキである)も買ってから、紅茶屋でいつも飲んでいるプリンス・ウラジミール(ロシア系のフレイバー・ティー)の補充とセイロン系のキャリントンを買って家へ戻る。キャリントンでケーキを食べた。この品種の紅茶は初めてだけど、おいしいと思う。香りがよくて、優しい感じである。夜は昨日の残りのイクラその他でまたお寿司。早く食べないとね。ところでリドリー・スコットの新作「ブラックホーク・ダウン」というのはマーク・ボウデンの「強襲部隊」の映画化なのかな。


2001.10.28 sun.

塚本青史「小説ペルシア戦争I マラトン」(幻冬舎)を読む。日本のプロ作家の作品でペルシア戦争物というのは、わたしの知るかぎりでは過去に例がない。まったく未開拓の領域であり、そうした世界を一般読者を対象に説明する作業にはおのずから困難がともなう。そしてその観点からすれば、「マラトン」にはそれなりの努力は感じられるのではないだろうか。ただ、あの長大なタイム・スパンに必然性があったとは思えないし、こちらとしてはタイトルが「マラトン」である以上、マラトンの戦いを主軸に置いてほしかったところではある。それが最後の10ページばかりというのは少々寂しい。また、わたしは時代考証に重きを置く人間ではないものの、いくつかの重要な逸脱は問題にしたい。「マラトン」では将軍(ストラテゴス)があたかもミルティアデス一人であるかのように描かれていたが、実際にはほかに9人いた。一応はその合議によって対ペルシア戦略が決定されていた筈である。したがってマラトンで戦端を開くまでの政治的サスペンスが存在した筈なのだが、これは見事に省略されていた。それからストラテゴスやアルコンがあたかも地位であるかのように描かれているが、どちらかと言えば役目に属するものであって、無条件に与えられる権威ではない。ミルティアデスがペルシアで軍役についていたという話は初耳である。これは創作であろうか。ケルソネソスの僭主だったという話の方が、以降のイオニア反乱に話が結びやすかったのではないかと思えてならない。デルポイの神託が大吉、大凶というのはいただけない。仮に趣味の問題だとしても、会話で「みども」「おぬし」はやめてほしい。アリステイデスやテミストクレスの人物プロファイルには疑問が残る。ピタゴラスの学徒がアテナイをうろうろしていたが、うろうろしていた理由があれだけだったとするならば、物語のコスト・パフォーマンスが悪すぎる。というわけで次巻に期待したい。
夕方から大蟻食と一緒にわたしの実家へ。お茶を飲んで、ゴンゾに挨拶をしてから 巽孝之・小谷真理子夫妻 の家へ。 大串尚代女史 が迎えてくれる。飲み食いをしていると 向山貴彦吉見知子 夫妻、続いて 東浩紀大下さなえ 夫妻がやってくる。11時近くまで飲み食いをして帰宅する。


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