2000.02.01 tue.
ヘシオドスの著作「仕事と日々」は古典学者松平千秋先生の仕事を経て「仕事と日」と題名を変える。これは松平千秋先生が日本語には複数形はないと主張しておられるからだと聞いている。考えてみればそのとおりだという気もするが、「亭主の日」ではなんとなく収まりが悪いのでここはやはり「亭主の日々」ということにしてみた。ちなみにこの複数形の問題については、なんとかなるのではないかと余計なことを考えてしばらく前に
「仕事と屁」
という短文に起こしてみた。やっぱりなんとかならなかったのでそのままになっているが、決して関心がなくなったわけではないので、またそのうちにいじることになるかもしれない。
2000.02.02 wed.
ここのところ「クラッシュ・バンディクー・レーシング(以下、CBR)」にはまり込んでいる。いろいろと批判(「マリオ・カート」とどこが違う)はあるようだが、いつもながらにゲームのバランスと操作系は抜群にいい。わたしのような不器用な人間にとって、手先の問題が簡単に解決できるというのはゲームをプレイする上でとてつもなく重要なことなのである。前に「チョコボ・レーシング」にはまり込んだことがあって、あれはあれで楽しいゲームだったけれど、操作系という点に関して言えばわたしには少々難しかった。察するにこのあたりのデザインは、けっこう高度なテクニックを必要とするのだろう。
これに比べると、という話をちょっとだけ。
昨年の暮れに「パラサイト・イブ2」を買ったが、これについてはバランスも何もあったもんじゃない、という印象を抱いている。ちょっとやって、あっという間に苛々してきて投げ出して、それ以来放り出したままになっている。ここのところRPG系統のゲームから遠ざかっていて、そのせいで忍耐が著しく乏しくなっていたということもあるし、なにかこう、わたしには理解できないような指先の技量を要求されているのかもしれないけれど、根本的な操作感の悪さと一人よがりな話の作りが前に進もうという気力を著しく損なうのである。しかもこのゲーム、シューティングが中心の筈なのにステージのデザインのせいで状況によっては標的がまったく見えないことすらある。これはストレスの原因になる。もちろんスクエアなのでCGは素晴らしいし、メモリーカードへのアクセス時間が短いのにはいつもながら感心させられるが、CGへの期待感だけでゲームをやりとおす体力は、残念ながら「ファイナル・ファンタジーVIII」で使い尽くしている。
2000.02.03 thu.
古い話になるけど「ファイナル・ファンタジーVIII」批判の続き
実は「ファイナル・ファンタジーVII」はけっこう好きで、繰り返して3回くらいプレイしている。何が気に入ったのかと言うと、実はゲームのストーリー本体ではなくて、その周辺に散りばめられている付属的な要素がそれなりに豊かな世界を作っていたという、その辺りだと思う。サブイベントが豊富だったということになるのだろうが、結果としてそれがゲームに厚みを与えていた。そしてその厚みが繰り返しのプレイにゲーム自体を耐えさえたということにならないだろうか。ストーリー本体について言えば、これもVIIIに比べたらよほどよかった。とにもかくにもまとまりがあった。「ファイナル・ファンタジーVII」のあれはいったいなんだったのか? 過去・現在の交錯もまったく無意味だし、あれならば過去の方にだけ話を絞り込んだ方がよほどましな展開になった。テーマは愛だと聞いているが展開は恥ずかしいだけだし、孤児を集めた傭兵学校という設定は非常に気に入らない。国際社会で現に少年兵の問題が取り上げられている状況にありながら、あの設定を選ぶというのはデリカシーの欠如を感じる。ついでになるがジャンクション・システムもわかりにくかった。それでも最終ボス戦まで付き合って(二時間「戦った」ところで全滅して再挑戦もしている)最後のCGも拝見して、それで何をしたかったのかはわかったような気もするが、映画を志向する前に物語そのものについてもう少し勉強した方がよいのではないだろうか?
2000.02.04 fri.
東急新玉川線で架線故障。渋谷、駒沢間で電車が止まり、駅から締め出された乗客が代替輸送のバスに溢れ246には歩いて家路をたどる人があり、もちろん東横線にも人が殺到する。わたしもその東横線に乗っていた。もみくちゃにされて家に帰り、借りてきたビデオを見る。
2000.02.14 mon.
この三連休は家でじっとしていた。じっとしていたらなんとなく手塚治虫が読みたくなってきて、取り敢えず「三つ目がとおる」の文庫版を三巻まで買ってくる。その昔、少年チャンピオンか何かで連載中に読んでいた筈だが内容はほとんど忘れていた。性差別的な台詞が多いのにちょっと驚く。ビデオの方は収穫があった。
2000.02.17 thu.
読売文学賞の授賞式があった。筒井康隆氏に挨拶をした後、薄井ゆうじ氏と小谷真理氏を相手に「サウスパーク」がいかに面白いかをまくしたてて帰ってきた。変な奴だと思われたかもしれない。
2000.02.21 mon.
城戸ゆきとの「水中騎士」1,2巻を読む。「銃夢」にくらべるとずいぶん線が太くなっていて驚いた。いわゆる異世界ファンタジーということになるのだろうが、語りが全体にこども向けに構成されていたので少々不安にもなり、悪役が出てきたあたりで安心した。線の太さもこどもっぽさも確信犯でやっているらしい。2巻になるとこの確信犯ぶりがほとんど悪乗りになってきていて心地よい。ちなみに「アームズ」の新刊も読んだけど、こちらはいつものように真面目だねえ。
この週末はビデオを
「マクベス巡査」
「ブッチャー・ボーイ」
「踊れ、トスカーナ」
と続けざまに見て気がついた。田舎の話ばっかりだったのだ。都会人のわたしとしてはこれではいけないと考えてアメリカ映画を二本借りてきたが、
「パラサイト」
はオハイオが舞台だったし、
「裏切りのキス」
のニューオリンズというのもなんとなく田舎めいている。この週末はこうなることに決まっていたのかもしれない。それにしても週末は家でじっとしていることが多い。元来が出不精なので、これは仕方がないのだと思う。
2000.02.23 wed.
バード女史の「朝鮮紀行」とウェストンの「日本アルプスの登山と探検」を続けて読む。19世紀末の極東で得体の知れないイギリス人どもがどのように好き勝手をやっていたかがよくわかり、興味深い。活力に溢れていたというよりも、むしろ暇であったのだろうと考えてヴェブレンの「有閑階級の理論」を読み始めるが、前提に関わる保留が多すぎるのと自然状態における社会構造に対する断定が多すぎるのが気になって、いくらもしないで投げ出してしまった。読む方も腰が据わっていなかったが、書いた方も腰が据わっていなかった。
2000.02.29 tue.
先週の金曜日から今週の火曜日まで、水道の給水管の交換であるとかバルブの増設とかの工事が入り、立会をする関係で会社を休む。立ち会うとはいっても実際に横に立ってずっと見ているわけではないので、これを機会にまず「亡国のイージス」を読む。非常に筆力のある人だとは思う。ただ、ステレオタイプの登場人物が延々とステレオタイプの行動を繰り返しながら情念の世界に落ち込んでいくのは少々わたしには辛かった。我が国の防衛システム自体に様々な問題があるのは事実だが、その問題を指して大上段に振りかぶるよりももう少しせせこましいところで地道に働いてシステムの諸問題を実感するような内容の方が好みである(だから売れる物が書けないという話もある)。これに引き続いてまだ生きているスティーブン・スピルバーグの評伝を読み始めたが、いやはや、ハリウッドは恐ろしいというお話でした。
スピルバーグの評伝を読んだから、というわけではないが、見ていなかったことを思い出して
「アミスタッド」
を見る。一緒に借りてきたアルジェントの
「オペラ座の怪人」
の方がましだったし、
「チャイルド・プレイ4」や
「キラー・デンティスト」
の方が面白かったのは何もわたしの趣味のせいばかりではあるまいと思う。
大蟻食が帰ってきた(この2月は亭主を置いてほぼパリにいた)。