2002.6.1 sat.
矢川澄子さんが亡くなった。お世話になった方である。懇意にしていただいた上に、いろいろとお気遣いまでいただいていたのに、何もお返しすることができなかった。ただ惜しまれるばかりである。ご冥福をお祈りする。 2002.6.2 sun.
早朝、ゴンゾに叩き起こされる。猫がいると目覚ましがいらない。ゴンゾの朝ご飯の支度をして、シャワーを浴びる。シャワーの後はゴンゾのブラッシング。わたしも適当に朝ご飯を食べて、それからゴンゾをなでながらマイケル・ギルモア「心臓を貫かれて」(文春文庫)を読み終える。1976年に殺人罪で処刑されたゲイリー・ギルモアとその家族の年代記で、著者は一家の四人兄弟の末弟である。絶望が敵意をはぐくみ、暴力を産み落としたのだと言えばたいそう短くてわかりやすいが、その過程を生涯かかって経験するのはたまらない。その結果、次男は二人殺して殺人犯になり、三男は恨みを買って殺されたらしい。あまりにも見事な崩壊ぶりは、人間はどうしてこうなるのかという素朴な疑問でこちらの頭を満たしてくれた。とにかくむごたらしいばかりに業が深い。あんまり業が深いのでこの一家が家を買って住み着くと端から幽霊屋敷になってしまうほどなのである。一読する価値は十分にあったと思うけど、読み通すのはかなり辛かった。出来が悪いからではなく(出来は非常によいと思う)痛々しくて辛かったのである。村上春樹訳というのも辛かった。これも出来が悪いからではなくて、村上春樹の文章には不穏な気配が常に漂っているからである(よくよく生理的に合わないようで、実を言うと、そのせいでわたしはこの人の長編を読み通せたことが一度もない)。夕刻、両親が帰宅。ゴンゾが喜んで飛び跳ねる。わたしも自分の家へ戻る。大蟻食と一緒に壁の穴でスパゲッティを食べて、早めに寝てしまう。
2002.6.6 thu.
大蟻食と一緒に
ズーラシア
へ。東横線に乗って菊名で横浜線に乗り換えて、中山で降りてそこからバス。片道一時間ほどの行程であった。これはよい動物園だと思う。動物の居場所と居場所の間にはそれなりの距離が保たれていた。動物の居場所(展示スペースという表現は嫌いだ)には茂みや樹木が植えてあって動物が見物人の目を逃れられるようになっているし、そうした植物は動物が属する気候帯にしたがって配慮されている。昔の動物園というと独特の発酵臭が鼻についたものだが、ここではその臭いも抑制されている。動物がよく世話を受けているのだろう。目に入った範囲では不幸そうにしている動物はいなかった。むしろ、それなりに充足していたような気もするのである。暑かったので大半の動物は木陰や岩の上でだれていたが、カモメのオスは果敢にメスをくどいていたし、オットセイもガラス張りの水槽の中で求愛行動を繰り返していた(ように思う)。ツキノワグマはなんとなく幸せそうにしていたが、ホッキョクグマはちょっと悲しそうにしていた。たぶん檻の中に戻りたかったのであろう。途中、カンガルーの居場所の真向かいにあるレストランで食事をする。炭焼きステーキはおいしかった、と大蟻食は言っている。レストランの隣にあったギフトショップでオオアリクイのヌイグルミとオオアリクイのピンバッジを買い求めて(オオアリクイの携帯ストラップもあったけど彩色がよくなかった)、中央アジアの高地を抜けて日本の山里をぐるっとまわって目当てのアマゾンの密林へ。ここにはオオアリクイがいるのである。わたしは初めて見るのである(大蟻食は前にウィーンの動物園で寝ているところを見たことがある)。ズーラシアのオオアリクイは元気だという話を聞いていたけれど、いやあ、本当に元気に歩き回っていた。去年まで母親に覆いかぶさっていたとかいう子供のオオアリクイなのであろうか。あっちへ行って地面を掘り返したり、こっちへ行って木にしがみついたり、またあっちへ行って違うところを掘り返したりと実に気ぜわしい。手前の方に小さなせせらぎがあって、そのうちにその流れに沿って奥へ歩いて行くのでこちらも慌てて場所を変えたら、お尻を下ろして毛づくろいを始めていた。長大な尻尾の先のふわふわした毛を流れに浸して、蟻塚を突き崩すあの爪を使って器用にすいていくのである。始めに右側からやって、次に左側からやって、ごろんとおなかを丸出しにして長細い頭を前に突き出し、お尻のあたりをちょっとかいてから後肢の付け根をゴシゴシとやって、身体を起こすと今度は後肢の爪で前肢の付け根を引っかいてみる。爪の届くところを時間をかけて丁寧にブラッシングして、せせらぎの中を歩いて戻って、それからまた穴掘りに取り掛かった。この日、ズーラシアで見た動物の中ではいちばん忙しそうにしていたような気がするのである。全体を見て回るのに3時間ほど。出口でアイスクリームを食べてから、やってきたバスに乗り込んで中山駅へ。来た道を逆にたどって帰宅する。ヌイグルミのオオアリクイは大蟻食がウサコと命名する。面倒なので理由は説明しない。女の子のヌイグルミはオオヤマネコのアグリッピナ、モルモットのラビオラに続いて三匹め。
2002.6.7 fri.
大蟻食と一緒に朝から渋谷へ。渋谷エルミタージュで
「ビューティフル・マインド」
を見る。見ないと上映が終わってしまうからである。ラッセル・クロウに関して言えばほぼ予想通り。20歳から70歳までのジョン・ナッシュをひとりでやっていた。夜はご飯を食べながらイングランド対アルゼンチン戦を見物する。
2002.6.8 sat.
読売新聞の朝刊によると、イングランド対アルゼンチンの試合が終わった後、アルゼンチンのサポーターは30分くらいスタンドに座り込んでいたそうである。気の毒に、信じられなかったんだね。大蟻食は朝から学校へ。わたしはひとりで
「アザーズ」
を見に渋谷へ。地味だが、よくできた怪談である。
2002.6.9 sun.
快晴。午前中はばたばたと過ごし、昼過ぎに妻家房で昼食を食べる。昼食後、大蟻食はジムへ、わたしはチョコレートを持ってレンタルビデオ店へ。長いことお世話になった店だが、いよいよ閉店してしまうのである(3/23の記入)。お店の人に挨拶をして、ちょっと雑談をする。夕方から大蟻食と一緒にゴンゾの家へ。床を絨毯からコルクに張り替えたというので見物に行くのである。途中、渋谷の東横のれん街で夕食用の買い物をする。日本対ロシア戦の直前の時間で、ということになるのだろうか、のれん街はとんでもなく混み合っていた。コルクの床はやわらかい。老人にはちょうどよい、と父が言う。ゴンゾはもう慣れたような様子であった。みんなでおにぎりとお惣菜を食べて、少し早めに帰宅する。帰宅する途中の道で、左右の家の窓から君が代が聞こえてきた。前からも後ろからも聞こえてくる。これはちょっと不気味だと思った。それでも先を急いで家へ戻り、お茶を入れてテレビの前に座ってサッカーを見る。ベルギー戦に比べると、たしかに緊張感が保たれていたのではないだろうか。あの初戦の印象からか、フリーキックになるとはらはらする。まずは一勝おめでとう。メディアはずいぶんはしゃいでいたが、選手たちが全然はしゃいでいなかったのはよいことだ。モスクワで暴動、というニュースをちらっと見てから寝てしまう。
2002.6.11 tue.
夕方、大蟻食と一緒に渋谷へ。
「スコーピオン・キング」
を見る。最終回で、ほとんどがらがら。
「スパイダーマン」
の方にも「座れます」という表示が出ていた。ワールドカップのせいで映画業界は相当なダメージをこうむっているのではあるまいか。帰宅してテレビをつけたらカメルーン対ドイツ戦のハーフタイム。なんとなくカメルーンを応援していたので、結果はちょっと残念であった。しかし、あのイエローカードの数はすごいね。
2002.6.13 thu.
シルヴィア・ナサー
「ビューティフル・マインド」
(新潮社)を読み終える。同名の映画の原作で、こちらはとにもかくにもジョン・ナッシュのちゃんとした伝記になっている。ただ、記述の仕方が悪い意味でジャーナリスティックで、つまりどこまでいってもニューズウィークのインタビュー記事を読んでいるような雰囲気があって、結果としてきわものを読んでいるような気分になってくる。傷を負った人格を扱う手法としては、著しくデリカシーを欠いているような気がしてならないのである。わたしがうるさすぎるのだろうか?
2002.6.14 fri.
午前中に大蟻食と一緒に美容院へ。わたしの担当美容師が研修で出張中ということだったので、大蟻食の担当美容師にカットをお願いする。長いこと同じ美容院に通っているけれど、並んで髪を切るのは初めてだと思う。大蟻食はカットのほかにトリートメント、わたしはわたしでカラーをいれてもらう(今回はちょっぴりアッシュ系)。午後からはサッカーの日本対チュニジア戦。決勝トーナメント進出おめでとう。で、夜になって思い出したのである。自由が丘駅前の妻家房ではFIFA2002WORLDCUP記念特別メニューというのをやっていて、これが日本メニュー、韓国メニューとあってそれぞれが2002円、そして日本または韓国のどちらかが勝つとこの2002円が半額になるのである。というわけで、妻家房で晩ごはんを食べる。日本メニューと韓国メニューをひとつずつ注文して、適当にシェアしながら大蟻食と一緒に平らげたら、それはもうお腹がいっぱいになってしまった。幸せな気分で帰宅する。
2002.6.15 sat.
大蟻食は朝から学校へ。わたしは眼科の定期検診へ。眼底検査をするために両目とも瞳孔を開かれてしまう。サングラスを忘れたので、家まで帰るのが本当にたいへんであった。 2002.6.16 tue.
例によってサッカーを見ていた。セネガルのチームは呪術を使っているような気がしてならない。スペイン対アイルランドは実によい試合であったと思う。
2002.6.22 sat.
なんと韓国がスペインに勝ったのである。こうなるとドイツに負ける理由もないのでは? という気がしてくる。ただ、試合の面白さではトルコ対セネガル戦の方が数倍上だったような気がする。いや、これまでに見た試合の中ではいちばんすごかったのではあるまいか。セネガル・チームの踊りを今大会ではもう見れないのかと思うと少し悲しい。試合の合間に
「ブロウ」
を見たけど、これはだめ。もしかしたらMTV乗りだったのだろうか?
2002.6.23 sun.
究極の部分痩せダイエット登場、とかいうから夫婦で「リサーチ200X II」を見物する。超音波をあてるのだそうである。実用化までにはまだ数年を要するのだそうである。なんだ、ということで、大蟻食は仕事にかかり、わたしはイザベル・フォンセーカ「立ったまま埋めてくれ」(青土社)を読み終える。副題は「ジプシーの旅と暮らし」となっている。これは、ちょっとした本であった。東欧系のユダヤ人でアメリカ人ジャーナリストの著者がアルバニアのジプシー家庭にホームステイした話から始まり、ルーマニアのジプシー、ボーランドのジプシー、ポーランド・ドイツ国境地帯のジプシー、ドイツのジプシー、ドイツおよび東欧諸国における反ジプシー政策の歴史と現在、アウシュヴィッツのジプシーなどの話題が歴史的かつ体験的に、そしてやや未整理のまま、つまり少しばかり混沌と語られている。著者が経験によって知った内容を、著者が思い起こすままに語っているのだと言えばいいのかもしれない(だから疲れている時には面白いほど疲れている語り方になる)。その結果、これはきわめて古典的な意味でジャーナリスティックな本になり、大蟻食の言い方を借りると「整理されていないことによって整理されていれば落ちていた筈の面白い情報がいろいろと残っている」のである。前半のホームステイ編は掛け値なしに面白い。後半、ポーランド経由の旅の中に織り込まれた迫害の歴史は心を乱さずに読み終えるのが難しい。
2002.6.25 tue.
エリック・シュローサー「ファーストフードが世界を食いつくす」(草思社)を読み終える。ファーストフード・チェーンがアメリカの農業をいかに破壊し、非熟練労働力をいかに搾取し、アメリカ人の健康をいかに脅かしているかを報告する渾身のレポートで、訳者のあとがきにあるとおり、作者は本当に義憤に燃えている。いや、実際、すさまじい内容で、不法移民をごみのようにこき使う食肉工場の悲惨はまるでどこかの国の蟹工船のようであった。たしかにこれを読んだ後ではハンバーガーの味がいくらか変わるかもしれない。ローリングストーン誌に掲載された、ということは、やや若い読者が想定されているということだろうか。そのせいなのかもしれないが、問題の提起や原因の指摘の仕方がまるでハンバーガーのように柔らかく咀嚼しやすい。諸悪の根源は大企業とそれと結託した共和党政権にあるという結論は、いくらかの事実を含むとしてもいささか単純に過ぎはしないだろうか。民主党が共和党の陰謀を覆すことができなかったのは、中間選挙で負けたからだという説明はあまりにも苦しい。読者を政治的謀略へ誘導するよりは、現場レポートに徹すべきであった。
2002.6.28 fri.
夜、大蟻食と一緒に
「フロム・ヘル」
を見る。
2002.6.29 sat.
大蟻食が朝から学校へ行ってしまったので、わたしは一人で渋谷へ出て
「ブレイド2」
を見る。渋谷シネフロントはがらがらであった。いったん帰宅してから買い物に出てパンと生ハムとホワイトアスパラを買い求め、大蟻食が帰ってきてからワインを抜いて、食事をしながら「ロック、ストック」なんたらかんたらのTVシリーズ版(スパゲッティ・ソース)を見物する(大蟻食が好きなのである)。よくよく考えるとよくもまあオンエアするねと思いたくなるインモラルぶりだが、アホの四人組が請け負った仕事をアホに輪をかけたオランダ人兄弟に下請けに出して、そのせいで大混乱する、というパターンに陥っていないだろうか。
2002.6.30 sun. 大蟻食が教会のお勤めに行ってしまったので、わたしは一人で渋谷へ出て 「ワンス・アンド・フォーエバー」 を見る(この邦題は意味不明では?)。渋谷ジョイシネマの一回目で、開演15分前に到着したら20人ほどの列ができていた。中年から初老の夫婦がなぜか目立つ。戦闘が終わった後でメル・ギブソンが立ったまま嗚咽していたが、それがなんとなくうそ臭く見える映画だった。とはいえ、原作は読んでおく必要があるのかもしれない。映画を見終わった後、自由が丘で大蟻食と落ち合って焼肉屋で昼食。午後は武蔵小山の賃貸物件を見物に行く。駅から3分足らず、文字通りアーケードの中にあるという変わった物件で、それはそれで魅力的であったがバザールの真中で暮らすというのはやっぱりちょっと疲れるかもしれない(日曜日の午後だったので、武蔵小山の商店街はとてつもなく混雑していた)。今のところにいればいいよね、と話し合いながら帰宅して、夜はいよいよワールドカップ決勝戦。カーンは実に立派であった。 |