2001.3.2 fri.
大蟻食と一緒に午後から日本SF作家クラブの総会へ。久美沙織さんが背負っていたバッグが馬のぬいぐるみで、これがまた実にかわいらしかったので触らせてもらう。 2001.3.3 sat.
前夜の帰宅が遅かったので、遅く目覚める。食べる物が何もなかったので、MACOU'S BAGEL CAFEで朝食をとり、通りを渡ってYAMAHAの店へ。例によって大蟻食は楽譜を探しているのだろうと思っていたら、店から出てきたところでいきなりファイフを渡された。横笛である。わたしに吹けというのである。路上でいやいやをしてみたが、どうにもならないようなので話は取り敢えずそこへ置いて二子玉川へ。大蟻食は化粧品を買い、わたしは靴下を買う。二子玉川の駅まで戻ってきたところで小腹が減ってきたので、駅構内にある蕎麦屋へ入り、おにぎりと飛騨の地ビールを注文する。ビールは飲み心地のよいエールで実に美味であった。買い物を済ませて帰宅。大蟻食がバイオリンの練習を始めたので、わたしもちょっとファイフに触ってみる。音が出ない。たまに出ることは出るのだが、まともに出ない。唇の位置が悪いのと、楽器に触ることに慣れていないせいであろう。大蟻食がやってみると、とにかく音は出るのである。あれやこれやと試しているうちに、腹筋が痛くなってきたのでやめ。夜になったので大蟻食がスパゲッティを作り、それを食べながら
「プランケット&マクレーン」を見る。
見終わった後、食器を洗ってお茶をいれ、「アリー・マイ・ラブ」の3巻を見て、寝てしまう。
2001.3.4 sun.
ふつうに起きて、ふつうに朝食を食べ、着替えを済ませて巽孝之氏の「戴冠式」へ。日本SF大賞を受賞した巽孝之氏に本当に冠をかぶせるという集まりである。この後、銀座のYAMAHAへ。大蟻食は楽譜とCDを買い、わたしは川上昭一郎「バイオリンをつくる」(美術出版社)を買って大蟻食に渡す。ファイフのお返しである。開いてみるとバイオリンの作り方が実に詳細に書かれている。型紙まで入っている。立派な実用書なのであった。買い物の後、丸の内線で新宿御苑へ。東京バードカービングクラブ展が御苑のギャラリーでおこなわれており、わたしの父親も作品を出しているからである。最終日ということで父がいる。弟夫婦もいる。母は家で掃除をしているとのことである。展示会の方を見てから徒歩で新宿高島屋へ。六階の茶語(チャユー)という中国茶専門店でお茶をする。いつになく活動的な週末なので、少々疲れていたようだ。キームンを三杯飲んで人心地をつけ、渋谷へ移動して紅虎餃子房へ。早めの夕食を済ませて帰宅する。
2001.3.9 fri.
代謝が滅茶苦茶になってしまった。気温がやたらと上がったり下がったりしたせいであろう。だるい。 2001.3.10 sat.
相変わらずよろしくないので静かにしている。朝はイチゴだけ。お昼は外出して韓国料理、昼食の後、大蟻食は一人で中野方面へ。戻ってきたらなぜかGODIVAのチョコレートをたくさん持っていて、あげるというのでありがたくいただく。夜は大蟻食が四川風の春雨料理を作ってくれたのでそれを食べる。食事の後、大蟻食がバイオリンを弾いている間に、一人で
蝿がひとを襲う映画と
蛙がひとを襲う映画を
見る。どっちもだるかったが、これは体調のせいではない。
2001.3.11 sun.
少し復活してきたけれど、朝はやっぱりイチゴだけ。お昼は外出して中華。その後で少し散歩をする。眼鏡屋でサングラスを見て、SHALAとかいう名の雑貨店へ。ここの袋をぶら下げているひとを最近よく見かける。この店でお箸と箸袋を買い、GODIVAへ。チョコレートを少し買い足す。お茶をしてから夕食の買い物をしに東急ストアへ。予定では夕食はおにぎりということであったが、富山の鱒寿司を売っていて、大蟻食はこれが大好物なので予定は急遽変更となる。鱒寿司を食べながら例によって「リサーチ200X」を見る。来週は中年男性を襲う更年期障害なのだそうだ。これは見なくてはいけないと思う。
2001.3.17 sat - 2001.3.20 tue.
19日の月曜日を休みにして四連休。具合はだいぶよくなってきた。で、「リサーチ200X」の男の更年期障害の話を見たわけである。個人的には思いあたるところがいろいろとあって、もしかしたら五年くらい前から更年期障害なのではないかという気もするのだけれど、大蟻食に言わせれば全然そういうことにはなっていないらしい。それでもやっぱりだるいのはだるいので、なんとなく寝台に横たわってリデル・ハートの「第一次世界大戦」なんかを読んでいる。ざっとしか知らないことを実に詳細に説明してくれるので、たいそう面白い。で、そういう状態ではあるが、星野之宣の自選短編集「MIDWAY」宇宙編と諸星大二郎の自選短編集「彼方へ」はちゃんと購入した。ばかでかいのが四冊並ぶとなかなかの迫力である。映画の方は、ビデオで
「ホワイトアウト」と
「ハリウッド・ミューズ」
を見ただけ。
2001.3.23 fri.
火野葦平「陸軍」(中公文庫)を読み終える。戦時中に朝日新聞に連載されていた戦意高揚小説である。長州戦争の段階で小倉の質屋の倅に自然と国体の意識が目覚めることがあるかどうか、はなはだ疑問ではあるが、そこはそれ戦意高揚小説だから、ということになるのであろう。仮にそうであるとしても、そこから軍人勅諭に横滑りしていくのも妙だという話になるわけではあるが、やはりそれも戦意高揚小説だから、ということになるのであろう。ドイツ製
「タイタニック」
を引き合いに出すまでもなく、特定の政治的状況のために文脈が奉仕するとなかなかに理解しにくい事態が発生することになる。ただ、我が国の場合、やはり困ると思うのは、その結果として出現する文脈が「国のために我が身を差し出す」のではなく「国体のために命を投げ出す」という形になってしまうことで、この「陸軍」でもどうやら死ぬことの方が先に立っているのである。扇動的な要素はほとんどないし、コレヒドール戦におけるアメリカ軍の露悪的な描写は別としても、おおむね誠実に書かれた小説ではないかと思う(それどころか戦況が悪化しなければ、構造的に画期的な小説にしあがっていた可能性もあるのである)。ただ、個人的な感想から言えば、なにはともあれ戦争をやっているわけであり、戦争でやっているのは軍事行動であるわけで、国民的な意識として軍事行動における生残性の低さを容認するような発想は、わたしにはとうてい受け入れられない。人間とは生き残ってなんぼであって、「戦意高揚とは死ぬことと見つけたり」では、困るのである。一説によれば「どうしようもなく死んでいく」というのが国民性に適合しているらしいのだが、わたしはこれが嫌いなのである。散華を好む風潮はなおも根強く残っているし、昨今は負けた戦争を正当化したがる種類の人間がいくらか増えてきているようだが、負けた戦争は負けた戦争であり、負けた以上、どう正当化もできないということに気がついてほしい。国家としての健全な発想があるとすれば、それはあくまでも「今度はうまくやろうぜ」であって、得体の知れない言説を弄して過去を改竄することではない。 2001.3.24 sat. 2001.3.25 sun.
なぜか会社へ行く。3時間ほど仕事をして、帰宅。夕方から大蟻食と一緒にわたしの実家へ。この季節には一家が集まっておはぎを食べるならわしになっている。父からバードカービングの小さな梟をもらう。これは表面をバーニングペンで加工してある。ゴンゾは例によって少々ご機嫌がよろしくない。家の中に人数が増えて、ふつうは食卓の上に置いてある自分の寝床を撤去されてしまったからである。うっかり近寄ったら鼻を噛まれた。10時ごろ帰宅し、大蟻食がまだ見ていないから、という理由でクストリッツァの
「黒猫・白猫」を見る。
ああ、やっぱり野蛮な世界なのであった。
2001.3.30 fri.
大蟻食がいないので、夜、ひとりで
「エクソシスト」を見る。
もちろん例のディレクターズカット版である。
2001.3.31 sat. どうも寒いと思って外を見たら、雪が舞っていた。昼にはみぞれに変わり、その中を昼食へ。妻家房で辛いものを食べて身体を暖める。食事の後、花屋へ。大蟻食が注文しておいたオリーブの木が届いたという連絡があったからだったが、見てみるとなんだか葉っぱが成長したような状態である。手違いがあった、ということで、またそのうちに入りますから、と花屋さんに慰められて、買わずにピーコックへ。夕食の材料を買い整えて帰宅する。夕食はピーマンの挽肉詰め。大蟻食の得意料理である。ザワークラウトのスープの中に、ピーマンの挽肉詰めがごろごろと横たわっている。大蟻食はこれにサワークリームを入れて食べる。わたしはサワークリームを入れずに食べる。食べながら 「ラビナス」を見る。 なんだこれは。 |