2000.03.03 fri.
日本SF大賞のパーティに大蟻食と出席する。今年は新井素子さんである。特別賞の方の光瀬龍さんの作品には十代の頃ずいぶん楽しませてもらったものだ。昨年は欠席したのでパーティの様子が変わっているので少々驚く。出席者がとにかく多いので、よく見たら日本SF大賞のパーティではなくて、大藪賞を合わせた徳間文芸賞のパーティなのであった。残念ながら冒険・ミステリー系の作家の方とはほとんど面識がない。とはいえ大学在学中に良くも悪くもお世話になった(そして人の酒に七味を入れて一気飲みを強要した)早稲田大学ミステリークラブのOB連が何人か来ていて、互いの近況などを報告しあう。
パーティの後、お招きをいただいて堀晃さん等とともに夫婦で筒井康隆氏のお宅にお邪魔した。大感動である。ワインをいただき、未開封のミレニアム物ウィスキーをいただき、ベティ・ブープのコレクションなどを拝見した。実を言うと
「ロジャー・ラビット」
の短いシーンを除くと動いているベティ・ブープをまともに見るのはこれが初めての経験である。ハンガリーあたりのユダヤ民話と同じくらいにいかがわしい内容であった。
ベティ・ブープの後、クラーク・ゲイブル、ジョーン・クロフォード主演の
「ダンシング・レディ」
を見始めたが、途中で筒井氏が「これは駄作だ」と繰り返して評定を下すことになったのは映画の出来のせいではなくて、もしかしたら我々がジョーン・クロフォードの腕が太いの脚が太いの踊りが下手だのと騒いでいたせいではなかろうか。
2000.03.06 mon.
この週末はばたばたしていているうちに終わってしまった。ビデオの方は
「ルート9」
がまあまあ、
「発光体」
は今二つ、月曜日(2/28)に見たこれも今二つの
「エアスピード」
と合わせると、ここのところアメリカのテレビ映画ばかり見ていることになる。
2000.03.04 sat.
プレイステーション2発売開始。アフリカでは飢えたこどもたちが地雷で吹っ飛ばされているというのに極東のこの国では外道どもがこの騒ぎだ。もちろん人のことは言えない。SCEの予約番号をもらおうと思って何度も例のホームページにアクセスしようとチャレンジしたが、結局いちども入れなかったのである。別に悔しくなんかないもんね。ほら、初期ロットはやっぱり不安だし。
2000.03.07 tue.
うすね正俊「砂ぼうず」6巻と星野之宣「コドク・エクスペリメント」1巻を読む。一晩でこれなのだからもう、ほくほくである。
「砂ぼうず」は砂漠化した未来の東京を舞台にした話だけど、傑作だと思う。とにかく出てくる連中がことごとくせこい。せこくて性根が曲がっていて草の根的にたくましいのである。こういうのが好きなんだよね。
星野之宣は現代世界最高のSF作家の一人だと考えている。もちろんビジュアル面でということになるが、そのセンスが傑出している。掛け値なしのセンス・オブ・ワンダーなのである(その昔、まだ高校一年でわたしがSF少年だった頃、少年ジャンプで連載中の「ブルーシティ」をたまたま読んですごいと思った。桑田次郎に似たあのすっきりした線で絵に描いたようなSFをやっていたのだ)。「コドク・エクスペリメント」も感動物であった。多分にアメリカン・コミックへの接近が感じられたが、残虐無比の皆殺しで、ここまでやるかという内容である。
「ザ・ソルジャー」
「エイリアン2」
「ザ・グリード」
あたりを足しまくって、星野之宣で割ってあるのだ。あんまり嬉しかったのでうちでは早速、星野之宣版
「食って食って食いまくれ」
と呼ぶことになった。
2000.03.08 wed.
日比谷線が中目黒で脱線、衝突、ということで東横線も影響を受け、会社に出るのにいつもの倍の時間がかかった。中目黒駅通過中に事故車両がちらりと見えたが無残に壊れていた。死者まで出ていることを知ったのは出勤した後のことだ。亡くなった方の冥福を祈る。
2000.03.09 thu.
昨日は夕方から悪寒と頭痛を感じていた。帰宅して熱を計ると36度6分である。平熱が35度5分しかないので、このような場合にはいつも悩む。平熱プラス1度以上と考えればいいのか、37度未満だから平熱と考えればいいのか。いずれにしても面倒なので38度を越えない限り医者にはいかないことにしている。
ちなみにわたしには妙な習性があって、このように中途半端に発熱するとソルジェニーツィンの「イヴァン・デニーソヴィッチの一日」を思い出すのである。これは旧ソ連時代の政治犯ばかりを集めた特殊収容所での、囚人イヴァン・デニーソヴィッチの一日を描いた中編だが、その冒頭で目覚めたばかりのイヴァンは熱とだるさを感じて収容所内の診療所を訪ねる。病気を理由に一般作業と呼ばれる強制労働を休めるのではないかと考えたのである。しかし診療所の助手からはまず病休者の枠がすでに埋まっていることを聞かされ、それでも一応熱を計ろうということになって計ってみると、37度6分しかない。「38度を越えていればなんとかなったんだけどねえ」という助手の言葉を聞きながらイヴァンはバラックに戻り、結局、作業に出かけるのである。囚人たちの仕事は町を作ることで、イヴァンのいる班は発電所の建物を担当している。雪に埋もれた真冬の原野(零下40度)で煉瓦を積んでいくのである。作業をしているうちに次第に気分がよくなっていって、イヴァンは煉瓦積みの仕事に熱中する。熱もなくなったようだ。日が暮れかかるまで仕事をして一日の成果を振り返ってみると、ノルマ以上の煉瓦が積み上げられている。しかも美しく真っ直ぐに。イヴァンは自分の仕事に誇りを感じ、再びバラックに戻って夕食を取り、そして眠りに就くのである。
気になっていることが一つある。何年か前の朝日新聞の朝刊に掲載されていたコラムのことだ。春先のことである。残念ながら著者のお名前は記憶していないが、内容の方はその時期によく見かける新社会人へ送る言葉であった。一面を使った特集記事だったような記憶もある。朝食を食べながら新聞を読み、そのコラムに目を通して驚いた。
そこには「イヴァン・デニーソヴィッチの一日」が紹介されていた。この本は「労働の喜び」について記されているという主旨で紹介されていたのである。たしかにそうした側面があるのは事実だが、そこでおこなわれている「労働」が「強制労働」であり、従事しているのは囚人であって、無実の罪によって自由が剥奪されているという部分を無視されては困るのである。
実を言うと「イヴァン・デニーソヴィッチの一日」が「労働の喜び」を描いているという指摘はこの作品が発表された当時からすでにソ連国内に存在した。フルシチョフ政権の末期でソ連はいわゆる雪解けの時代にあり、「スターリンの犯罪」であれば一応の批判をすることができたのである。言うまでもなく特殊収容所は「スターリンの犯罪」であり、その犯罪の犠牲者がその犯罪によって強制された行為をあたかも賛美するかのように描くのは好ましくないという批判がソルジェニーツィンに向けられた。これに対してソルジェニーツィンはこのように答えた。
「生き延びるためには好きにならなければならないこともあったのです」
朝日新聞に掲載されていたコラムがここまでの事情を含んでいたのであれば、随分と諧謔に富んでいたことになる。記憶をたどる限りでは、残念ながらそういうことではなかったようだ。囚人が感じるような労働の喜びは、新社会人には無縁であってほしいと思うのである。なお
「イヴァン・デニーソヴィッチの一日」
は映画化されていて、日本でも1974年に公開されている。きわめて上質の映画である。
朝、起きると熱も頭痛もなくなっていた。日比谷線が運転を再開している。中目黒の駅で東横線から乗り換えようとする女性が連れに向かって「ちょっと怖いね」と囁いていた。気のせいかもしれないが、日比谷線はいつもよりも空いたようだ。
2000.03.10 fri.
ビデオで
「オースティン・パワーズ・デラックス」
を見る。いやはや。
2000.03.11 sat.
大蟻食と一緒に珍しく週末らしきことをする。ゆっくりと起きてMACOU'S BAGEL CAFEへいって朝昼兼用の食事をし(パンプキンのベーグルにハムエッグをはさんだマンハッタン・ブレイクファーストが好きだ)、それから渋谷へ出て
「ワールド・イズ・ノット・イナフ」(なんちゅう邦題だ)と
「スリーピー・ホロー」
をはしごで見物したのである(当初の予定では「トイ・ストーリー2」だったが、日中の上映が日本語吹き替え版であることを知ってこちらは断念した)。映画の後、東急文化会館の方の紅虎へいってしこたま食べて帰ってきた。ちなみにわたしはここの辣炒飯が好物である(最近、ちょっと味が変わったような気がするが)。
2000.03.17 fri.
ついにビデオ発売、ということでレンタルビデオ店は
「マトリックス」
一色の感がある。うちの会社には見てもいないうちからDVDを購入する人間が二人もいて、早速見た一人(わたしの上司だが)はこれならウェズリー・スナイプス主演の
「ブレイド」
の方が700倍は面白かったと泣いていた。ひとの警告を聞かないからこういうことになるのである。ということで新作コーナーには近寄らないようにして、こちらは前から気になっていたけどまだ見たことのないアメリカのテレビ・シリーズ
「サイ・ファクター」
を二巻ほど借り、ついでにこれも前から気になっていたニュージーランド映画
「アベレーション」
とその続編と思しき
「アベレーション2」
を借りて帰る。
2000.03.18 sat.
NEW POWER GENERATIONというのを一応見ておこうと考え、近所のレンタルビデオ店で
「ラストサマー」
とその続編を借りてくる。ついでに
「アトミック・トレイン」
も借りてくる。「アトミック・トレイン」の方はしばらく前にテレビで放映しているのをなんとなく横目に見ていたが、こちらのテンションが続かなかった。腰を据えて見れば面白いかと思ったが、そういうものではなかったようだ。
2000.03.19 sun.
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読み終える。明治10年ごろ、47歳のイギリス人女性が日本の東北から北海道にかけて単身で旅行した記録である。貴重な記録には違いないが、わたしにとっては著者本人の行動や言動、つまり旅程を変更して船を使って予定以上に距離が稼げたりすると計画の勝利だと自画自賛したり、土地に少々慣れてくるともう帰りたくないとほざいたり、あるいは同じイギリス人の北海道探検計画を覗き込んでこの方法では失敗すると得意になって予言したり、それで事実失敗したりするとそれはもうそれ見たことかと喜んだりする、そうした性格の方が興味深かった。なにしろ似たようなのがうちにも一人いるからね。夕方、騒々しいので実家の方に返品しておいた大蟻食が返送されてきた。
2000.03.20 mon.
わたしの方の実家へ大蟻食と一緒にいっておはぎを食べる。
2000.03.24 fri.
夕方、渋谷で大蟻食と待ち合わせをして
「マグノリア」
を見る。クライマックスについて聞いてはいたが、まさかあれほどとは思わなかった。
2000.03.25 sat.
ゆっくり起きて食事をして、ちょっと買い物をしながら近所のレンタル・ビデオ店で
「スウィーニー・トッド」と
「オフィス・キラー」
を借りてくる。それだけでもう夜になってしまったので夫婦で並んでビデオを見る。
2000.03.26 sun.
午後、胃が反乱を起こす。鎮圧したと思っていたのでかなり堪えた。夕方から巽孝之氏主催のMichael Keezing氏離日パーティに出席する予定でいたが、大蟻食に行ってもらうことにしてこちらは早々と床に就き、マーヴィン・ピークの絵本「行方不明のおじさんからの手紙」を読む。すべてのページに画家マーヴィン・ピークの奇怪なスケッチが入っている凝った本である。凝ってはいるが、「ゴーメンガースト」のような厚塗りの作品を読んでしまうとこのスケッチはいささか物足りない(亀犬は不気味で夢に出てきそうだけど)。
11時過ぎに大蟻食が帰ってくる。楽しいパーティだったようだ。
2000.03.29 wed.
大蟻食とわたしは七階建て老朽建築物の六階に住んでいる。いかに老朽とは言え最上階ではなくその下の六階なのだから、天空から降り注ぐ諸々の現象とその悪意からは守られていると信じていた。ところが昨年の五月、強い南の風が吹き続ける中、二晩にわたって雨が降ったら、その信じていた六階の天井からなんと水が滴り落ちてきた。いわゆる雨漏りである。生まれて初めて見る雨漏りであった。なるほど、これが雨漏りというものかと感心もした。管理会社がすぐに調査にやってきたが、原因は不明ということであった。どこから水が染み込んでいるのかわからなかったのである。
以来、南の風に乗ってやってくる春の嵐を恐れるようになった。
そして昨夜またしても雨漏りがあったのである。強い南の風が吹いて、二日にわたって雨が降ったからであろう。昨年とまったく同じ場所から水が落ちてきて、結局バケツ半杯分くらいもたまったろうか。雨は不明の場所から外壁に染み込み、鉄骨を伝ってやってくるのだと考えている。危険なのは春の嵐だが、これからの台風シーズンもいちおう心配しておく必要がある。いや、まさか自分が「古屋のもり」を恐れるようなことになるとは考えてもいなかった。民間伝承を舐めてはいけないということだ。
一夜明けて天井はすっかり乾き、その真下で篠原千絵「天は赤い河のほとり」第20巻を読む。この通俗的な面白さはたいへんなものだが、最終的に何巻までいくのかちょっと心配になってきている。