No.19
これが大蟻食の二十世紀ベストだ! 映画篇


小説もそうだったけど、ラスト四半世紀の作品については、三年後、考えが変っていないとは申せませんので御了承下さい。

シュトローハイムの取柄は兎も角分厚い画面の豊かさにある。『愚かなる妻たち』も、上品めかした偽金使いの一味に誑し込まれる間抜けな人妻の不倫話の背景に、知恵遅れの娘だの身体障害者だのを大量発生させて、何か妙に暗黒な厚みを出している。ぎとぎとに脂の乗った画面を堪能できる方にのみお勧め。

ビデオで見るなら音を切ること。エイゼンシュタインの魅力の第一は画面の繋ぎのリズムにあり、音楽はそれを台なしにしかねないからだ(我々は、あきれ果てるくらい音楽にひきずられて映像を解釈する)。その最高傑作が『ストライキ』。『戦艦ポチョムキン』を取らないのは、挟まずもがなの説明的なニュース画面を挟んで、全体のリズムが台なしになっているからである。『アレクサンドル・ネフスキー』はトーキーだが、後から思い出してもちっともそう思えなかったりする。相変わらず、エイゼンシュタインである。悪いチュートン騎士団が最高。

普通なら『ゲームの規則』だろう。私も同感だが、匂うばかりに若いルイ・ジュヴェ(自分の目が信じられなかった)の、しどけなく胸元をはだけた黒い絹パジャマ姿でつい『どん底』を入れちまうのである。

好きな監督だけど、純愛が臭い。何か変だと思っていたら、やっぱりゲイだったのだそうな。『天井桟敷』にせよ『悪魔が夜来る』にせよ、アルレッティの役を美女ではなく絶世の美青年だと考えると、ほら、俄に納得のいく話になるでしょ。コクトーにしたってそうだが、何故ゲイは、ヘテロな女にはちょっと我慢できないくらい臭い純愛を好むのだろう。

真面目なのか不真面目なのかよく判らん脱構築映画ばっかり撮ってた人。そりゃもうウェス・クレイヴンなんか目じゃないメタ・シネマである。『夜ごとの美女』では赤貧洗うがごとき音楽教師ジェラール・フィリップが、昼間見ていいなと思った女を、情けないくらい想像力の欠如した往年のフランス映画みたいな夢の中で端から口説く。後半の現実と夢の入れ子ぶりにはあきれ果てるほかない。『悪魔の美しさ』はと言えば、ジェラール・フィリップがミシェル・シモンを演じ、ジェラール・フィリップがミシェル・シモンを演じるのが見ものという映画。往年のフランス映画を「芸術の香り高い」とか言う人を私が今一つ信用できないのは(「芸」の香りが高いのは事実だが、あんまり真面目にやってない。スター隠し芸みたい、と言おうか)、こういうの見てけらけら笑わないのかと思うと不信の念で一杯になるからであった。一体何見てんだろう。

小学校二年生のみぎり、NHKで見た『舞踏会の手帳』のルイ・ジュヴェの格好よさが、事実上、私の男の好みを決定したのだと思う。『旅路の果て』は更にパワフルだが、さて、デュビビエが好きか、と言われると――ううむ、ちょっと悩むな。

子供の頃にテレビで見た。昔から、こういう話に弱い。

これもルイ・ジュヴェ。世にも怪しい坊主姿でスペイン軍にくっついて歩き、占領下の町で町人から金を巻き上げた道化から金を巻き上げ、女なぞには目もくれず、あとはひたすらに飲んでいる。翌日の二日酔いぶりが素敵だ。もっとも、フランソワーズ・ロゼ扮する市長夫人が、娘の彼氏を踏み台にして、市長の取り巻きが篭ってる部屋を覗き込み、彼氏がよろめくと、全く最近の男は情けないとか何とか言って憤慨する場面も素敵である。しょうがないでしょ、おばちゃん、結構綺麗とは言っても、もうはたちじゃないんだからさ。スペイン軍がやってくると聞いて市長が妄想する掠奪暴行の限り(典型的な、男は端から殺され女は……というやつをキャスト使って実演してくれる)も笑える。びびってお篭り状態の男どもをよそに、女どもは颯爽たる軍人さんたちと好きなだけ仲よしして(市長夫人は真珠の首飾りまで巻き上げる)、翌日は亭主を立てて万事丸く済ませる、というところも非常によろしい。昔のフランス映画は大人だったよね。

これは本当に小さい時、テレビで観た。よくわからないけど悪い美女がピラミッドの中で砂に押しつぶされて死んでいた。何となく格好良かったので、私も悪い美女になろうと心に誓ったのだが――おっかしいなあ、何でこうなっちゃったんだろう。

野越え山越え殴り合う二人の男を村中で見物に行く、という牧歌的な間抜けさがいい。

えー、あの、映画見てそういうことばっかり考えてると思われるのは非常に心外なんですけどね――まず『青髯八人目の妻』の、拘束衣着せられたゲイリー・クーパーにヒロインが迫る場面、あれ、いいですね。いきなり発奮したゲイリー・クーパーが拘束衣ひっちゃぶいて復活、そういうことになって終りでしたけど。それから『ニノチカ』でグレタ・ガルボが主人公のにいさんの瞳孔を点検し、生物学的に非常に優秀だわとか何とかいって迫る箇所、あれもいいですね。

グルーチョ・マルクスは非常にセクシーだと、私は思う。一遍口説かれてみたかった。
兎も角すっとぼけている。特に大酒喰らって街娼のところに転がり込んだジェラール・フィリップ扮する伯爵が、翌朝、何でこんなところにいるのか必死に考える場面で、常に常に「犬」が一緒なのは壮絶に間が抜けててよろしい。それを言えば彼が女優のところで押し倒されると、おそるべし、寝台の天蓋に鏡が、ってのも不潔でいいですね。これ見たら、ロジェ・バディム版なんか見れたもんじゃありません。ところでサム・メンデスは『ブルー・ルーム』を映画化する気、ないんでしょうか。

あたしゃキャメロンの『タイタニック』みたいな下品な映画は認めません。

私はこれ、小学校五年生の時にテレビで観ました。映画ってほんとにいいものだと思いました。その後ビデオで五回くらい見てますけど、そのたびにやっぱりそう思います。

亭主に『サンセット大通り』を見せたら、これってそんなに苦悩しなければならない立場か、と言っていた。それを聞いた私は、いつの日かビクーニャのコートで簀巻きにして道徳的転落の坂道を転げ落としてやろうと心に誓ったのであった。シュトローハイムが自分のパロディしているところが泣ける。洒落のきつい映画だ。

はっはっは、知らんだろう。ピーター・オトゥール扮する堅物の英国軍人がペテルスブルクに送り込まれ、女帝陛下に懸想されて大層迷惑するという話。しまいには拉致されたうえ、女帝陛下の尊い御足でくすぐられるという拷問まで受ける。ちなみに女帝陛下はジャンヌ・モロー、ポチョムキンはゼロ・モステル。見たのはこれまた子供の頃テレビでだったけど(月曜ロードショー)、で、そういう映画って後で見ると結構失望ものだったりもするけど(『ボルジア家の毒薬』なんて、途中で寝せられちゃったせいで恨み骨髄の一本だったが、改めて見たらつまんないのなんの、寝て正解だったよ)、これ、原作バーナード・ショウでございました("Great Catharine whom Glory still adores" 1913年初演)。

『十一人のカウボーイ』と併映だったけど(そして親はそっちを見せるつもりだったんだけど)、断然こっちが気に入った。そもそもマカロニが好きだったのだ。なんでまともなウェスタンよりマカロニが好きかと言えば、1) 登場人物の依って立つ欲得ずくの論理が爽かである。2) 登場人物が比較的小綺麗な格好をしている(特に悪役)。3) 小綺麗な格好をしてないとしても、色気はある。という理由による。つまり、大蟻食は子蟻食だったころから大蟻食ということですね。

まともなウェスタンの筈ですけど、粗筋見ていただければお判りの通り、話が限りなくマカロニなんで。

イギリス製舞台ねた映画って、そうでなくても好きだけど、これは逸品。キャサリン・ヘップバーンのエレオノール・ダキテーヌの格好いいこと! ピーター・オトゥールは言うまでもないが、おまけに、ナイジェル・テリーだのアンソニー・ホプキンスだのティモシー・ダルトンだのの三十年前が見れちゃう訳です。お得でしょ。

上官が休暇でヨットに乗りに行ったんで暇になった兵隊たちが、前線のむこうにあるドイツ軍の金塊を強奪しに行く。事実上の銀行強盗なのに、前線突破に砲撃をかまし、架橋に工兵隊まで担ぎ出す軍事行動ぶりが笑える。知る人ぞ知る大傑作。

これ見た翌日、何故か思い立って剣道部に入ったのだが、あれは私の生涯でワースト5に数えられる失策だったと思う。とはいえ、この種の過ちは多くてねえ……。

よくよくテレビで拾い物をしている。これは後でLDで見直してるけど(亭主は大塚名画座まで無理矢理付いて来て見たはずだと主張している)、やっぱ傑作。早い話『ゼンダ城の虜』なのだが、時代を1848年に移し、駆け出しビスマルクの陰謀話にしたってだけでもかなりいけるでしょ? おまけにビスマルク役はオリバー・リード、替え玉はマルカム・マクダウェル、ビスマルクの手下はアラン・ベイツで、フロリンダ・ボルカン(ローラ・モンテス!)まで出てて、ちゃんばら場面では「リエンツィ」流しまくり(他のワーグナーの使い方もすごいよ)、って映画では、喜ぶほかない。
(p.s. 今、データベース調べてて発見したが、この映画、脚本のジョージ・マクドナルド・フレイザーの小説が原作である。あの主人公があっちこっち行っては事件に巻き込まれて非道い目にあうという帝国主義お笑い小説のシリーズがあるのだ。今取り寄せて読んでるけど、楽しいよ)

あの馬の頭数だけで、映画史に残るんではあるまいか。しかもこれ、全部ちゃんと軍馬の動き方をする。大砲の煙もすごい。アナトーリ君はほんと脳味噌の欠片もない美男子だし、姉さんのヘレナは絶世の美女だし、アンドレイは陰気くさい二枚目だし、監督主演のピエールはそのまんまだし、キャストは言うことなし。おまけにトルストイの原作の理不尽までさりげなく訂正している。どうせ二時間三回のミニシリーズみたいな小説なんだからさ、うん、映画の方が全然いいよ。

ヘレン・ミレンがベビドール着てサックス吹きながら踊る(『カリギュラ』のダンスよりこっちの方がいいと思う)。おまけに婦警さんから転んでフー・マンチューの情婦になり、ゴージャスな衣装で悪の限りを尽くす。受験直前の冬休み、予備校に通いに東京へ来ていて元旦に見たのだが、この、肩の力の抜けたいい加減さだけで未来は薔薇色に思えたものだ。

クリストファー・ランバートの、抜群に似合うけどそこはかとなく猿めいたフロックコート姿で許してやっていただけないでしょうか。

駄作だってみんな言うのは判りますけど――ジェレミー・アイアンズの完璧なフロックコート姿だけで許してやっていただけないでしょうか。ちなみに昼間、灰色のフロックコートの時のステッキの握りは銀、夜、燕尾服着てる時の握りは象牙でして、これまた溜息もの。そうだよなあ、白/黒のくっきりしたコントラストに銀を入れたら冷たすぎるし硬すぎるもんなあ。ここは柔らかい象牙の感触が欲しいところだよなあ。殿方、持ち物着る物で御婦人の官能をくすぐろうというなら、是非ここまで考えていただきたい。

フェリーニだったらやっぱこれでしょう。ピナ・バウシュ演じる盲目の皇女様が美しくも邪悪。ちなみにこれを見ると、『魔の山』を撮るべきはヴィスコンティではなくフェリーニだった、と思います。海上を漂うベル・エポックが撃沈される、という観点からすれば、ある種のタイタニック映画でもあります。

ヴィスコンティの映画の何がいいって、自惚れの絶頂にいた男が人生にぼろ負けしていく姿を美しく仕上げることでしょう。となればこれが最高傑作。ジャンカルロ・ジャンニーニが最高になまめかしい負けっぷりを堪能させてくれます。見てて思わず、もっと負けろもっと負けろと呟いている自分が怖い。

ロシア人は何故こんなに木漏れ日きらきらが好きなのかと思うが、ミハルコフはそれを何ともスウィートでクリーミーに撮る。と言って、『太陽に灼かれて』に見る通り、まるっきり暗黒を知らないという訳ではない。ドストエフスキーの『悪霊』を撮ってくれていたらどんなに凄かっただろう、と思わずにはいられない。目下の最高傑作はたぶんこの『愛の奴隷』。そこはかとなくアメリカン・ニューシネマのぱくりがあって可愛い。

小説と映画、両方で堂々のランク入り。フランスで学生暮ししていた時に見たので変にリアリティがあった、という影響もあるが(財布の中から五百フラン札が出て来る場面では思わず溜息が出た)、何といっても取柄は、酔っ払いの朦朧たる時間の流れ方(ブラックアウトまでする)を画面に再現したことだろう。

タレイランとフーシェが一八一五年七月の一夜、一緒に夜食を食べながら謀議するってだけの映画。もとは舞台だが(フランス映画だと散々にコケにされるようなプチブルが、シャネルのバッグ下げたりエルメスのスカーフ巻いたり真珠のネックレスしたりして土曜の夜に群がるテアトル・ド・モンパルナスでやった)、台本買って読んで驚いた――これならあたしだってもっと上手く書けるよね。モリナロもそう凄い監督じゃないし。ということは、この異常なテンションの高さ、専らクロード・リッシュ(タレイラン)とクロード・ブラッスール(フーシェ)の芝居だけで出ていることになる。フランス映画は役者でもってるのか。

もちろんこういうバロック映画は無条件に好きな訳だが(色彩もこてこてにチネチッタだ)、ジョナサン・プライスの絵に描いたように悪い文官で更に美味しくなっている。

高校生で、試験前だったんだけど、金と時間の許す限り映画館に入り浸って恍惚としておりました。あの画面から画面へのなめらかで音楽的なつなぎが……マーチン・シーンも可愛いし……。生涯最高の映画。

『マッド・マックス』の図像が我々の文化のある局面を決定したという側面は、もちろん否定できません。でも個人的には『ベイブ』を取りたい。

この傑作ぶりが判らない? 悲しいお方じゃのう。

キャプラのフェイク。すんごくよく出来てる。ポール・ニューマンがカエサルみたいな貫禄の邪悪なじじいになっていて驚いた。ちなみに配給会社は、最初の試写の招待状を、映画の中に出て来る社長直々の社内便「ブルーレター」とそっくり同じ封筒で寄越した。永久保存にしてある。

反吐の出そうな郊外住宅地に住むプチブルに虐められるのがバートンの主人公のいつもの宿命だが、たまには逆転てのもありな訳だ。私はこれ、フランスで見た。エンドタイトルが始まるなり、見物の餓鬼どもがクェ、クェ、と火星人の真似を始めてうるさいったらなかった。素直な人たちだ。どうも自分たちがプチブル側だとは絶対に思わないらしい。

脳味噌が筋肉な右翼を徹底的に虚仮にした映画。別に諷刺じゃとらないんだけど(脳味噌が白子な左翼だっておんなじくらい困りもの)、ここまで手際よくやられると脱帽である。渋谷で見たが、何故か背後にいたドイツ人の餓鬼三人組に馬鹿受けしていた。思い当たるふしでもあるんだろうか。

言わずと知れたゼメキスの最高傑作。何回見ても楽しい。四歳になる甥っ子もそう言っている。ちなみに私はジェシカ奥さんのピンナップを持っていたりする。

「死」のメタファーとしてよく出来ていると思う。何となくハシディズムの匂いがするのは気のせいか。

惜しい人をなくした。もっともこんな傑作、生きてたって何本も撮れるもんじゃないだろうけど。『エドワードII』は政治的には正しくないけど(ゲイだからってヘテロ女を差別していいのか?)映画としちゃ綺麗だよねえ。

造形の重圧が人を殺す『建築家の腹』で惚れた。昔はほんとに美しい映画を撮っていたのである。『ベイビー・オヴ・マコン』なら何十回でも見たい。ただし視覚的にはシュトローハイムなみに濃ゆい御馳走であり、胃弱の人には勧めない。『プロスペローの本』は、ジョン・ギールグッドへのオマージュとして素晴らしいと思う。

これを見た翌日、亭主の会社のメールアドレスに「悪の誘惑」というメールを送り付けた。開けると一言、「すらぁいど」と書いてある。亭主は怒っていた。真面目に仕事してる時に詰まらんメールを寄越すんじゃないと言うのであった。いいじゃん、一緒に滑ろうよ。

今年のめっけものと言ったらやっぱこれでしょう。詳しくは 「大蟻食の生活と意見」第十五回をご覧あれ。

という訳でした。しかしあたしってよくよくB級。それではまた。


2000.12.26
大蟻食