No.12
初春である

初春である。大蟻食は暗い大晦日と縁起でもない年明けを迎えた。柄にもなくクリスマスカ−ドなぞ出したむくいであろうか。折角同じ手間掛けて出すならちょっとだけ年賀状より目立ちたいと考えただけだったんだけど。
暗い大晦日の理由は他でもない、ジェイムズ・キャメロンの『タイタニック』だ。予告編から薄々嫌な予感はしていたが、これはもう、最低なタイタニック映画であった。『SOSタイタニック』を愛する原理主義的タイタニック教徒である大蟻食の夫君は激怒していた(タイタニックものの掟を全て蹂躪した冒涜的な映画なのだそうだが、言われてみれば確かにその通りだ)。幼少のみぎりに聖典を拝み、取り乱すことなく従容と死んで行く一等の男どもにしびれたせいで紳士服フェチが今だになおらない(ついにこの間、とある編集者に暴かれてしまった――佐藤さんの小説って矢鱈男のお召し替えがありますよね。勿論著者はあの手の場面を目を潤ませ息を弾ませて書いているのだ。赤面ものである)大蟻食も激怒した。理由は以下の通りである。
1. 予告編を見た時から嫌な予感はしていたんだけど、美術は最低である。あんなでかい、つまりは高いダイアにあんなせこい台付けるか? 一度だけ裏側が映る場面に御注目である。縁日の玩具だ、あれは。ヒロインは自称美術の目利きで船室にドガだのセザンヌだのピカソだのを持ち込んでいるが、これがまた異様に下手糞な複製ばっかり。レオナルド・ディカプリオ扮する絵描きの卵のデッサンは噴飯もの。ちょっと手配すればそれらしい首飾りを作ってくれるデザイナ−も、尤もらしい複製を貸してくれる業者も、多少それらしいデッサンを描いてくれる画学生も(ちょっとシ−レ風だったりするといけるんじゃなかろうか)幾らでもいる筈である。タイタニックの内装を復元とか言っているが、これまたひたすらに安っぽく、けばけばしい。あんな船に恐れ入る奴は三等船室の移民にだっていまい。
2. 当然のことながら衣装も最低。特にケイト・ウィンスレットの衣装が気の毒なくらい体に合っていない。TPOも変。結婚を前にした若い娘が緋色に黒のビ−ズ刺繍の薄物を重ねた夜会服なんか着るか。泣くと流れるような目張りを入れるか。乗船の時の、身寄りのない家庭教師の娘みたいな衣装も納得できない。紳士物の方はまだましだが、それとて橋龍の元旦の宮中参内の時の燕尾服(何だありゃ。ちゃんと仕立てたのか。来年はやらなくて済むと思って貸衣装で済ませたんじゃないのか)よりましと言う程度。ちなみに最後の方で斜めになった甲板をすべり落ちて行く途中、スカ−トが捲れ上がって下半身丸出しになるおばちゃんはタイツをはいている。
3. ヒロインの婚約者は夕食の席で紙巻き煙草を吸う。でも誰の顰蹙も買わない。ケイト・ウィンスレットが寝間着で部屋にいるところにやってくる。でも部屋に入れて貰える。しかもガウン姿で中はパジャマ。えらい無作法者である。彼女は余程心が広いらしい。二人差し向かいで朝食を取っている最中に食卓をでんぐり返し、別な場面では彼女に平手打ちを食わせる。世間に知れたら村八分間違いなしの振舞いだ。上流社会は恐ろしいぞ。
4. レオナルド・ディカプリオがノ−タイどころか襟さえない色物のシャツにチョッキも上着なしというスタイルで一等甲板をうろうろしていても、誰の顰蹙も買わない。
やれやれ。兎も角全編にかけらほどのエレガンスもないのは辟易である。その点では奇妙なまでに『エイジ・オヴ・イノセンス』に似ている。あれも爆笑の嵐みたいな映画ではあった(原作も笑っているうちに気の毒に思えてくるくらい情けない代物だが)。取るべきところはタイタニック大沈没の特撮くらい。だが、うるさいことを言うとそこにも問題はある。タイタニックが水上で真ん中からへし折れたかどうかには多分に議論の余地があるのだ。もっとも、あれがなければ見せ場はほとんどないから(それ以外の大方のことは『SOSタイタニック』がやっている)、やるしかなかったのかもしれないが。
帰って来て夕食を取り、亭主が『チョコボの不思議なダンジョン』をやるのを観戦するうちに年は明けた。テレビを付けるとオ−チャ−ド・ホ−ルの年末コンサ−トの最後の曲をやっていた。ラデツキ−行進曲である。私は思わず青褪めた。ヨ−ゼフ・ロ−トの『ラデツキ−行進曲』を読んで以来、あれは私にとって何とも縁起悪く不吉な曲なのだ。とっくに滅亡しちゃった国の首都で昔を懐かしんでやる分には構わないが、日本じゃげんが悪すぎる。しかも二日、はじめて本屋に行ったらロ−トの選集を見つけた。『カプツィナ−グルフト』の訳が入っていたので買って来たが、読んだらやっぱり不吉だった。ロ−トは好きだがあんまりしっくり来すぎて気が滅入る。と言うより、この原因不明のしっくり来ように気が滅入る。前世は二重帝国のユダヤ人だったんじゃないかと思えるくらいのしっくり来ようであり、気の滅入りようだ。パリにいた頃、オデオンの映画館に行く途中の、リュクサンブ−ル宮の前を折れた道にロ−トが客死したホテルがあって、そこにはめ込まれたパネルをみる度、非道く気が滅入ったことを思い出した。
きっと今年も日本はずんずん没落して、元気がいいのはナチ野郎ばっか、と言うことになるのだろう。嗚呼。
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