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『瞳の中の大河』 / 沢村凛(新潮社,2003/7)

北に金狐山脈を眺め、南には黒鹿山脈を眺め、中心は南北に犬鷲山脈につらぬかれ、東西には大河が流れる国がある。大河に沿って都があり、国王がいるが統治の実態は寡頭貴族制で、領主たちは人民を酷薄に支配し、都では反乱分子による政治的扇動が繰り返され、地方では野盗の群れが跳梁跋扈し、野賊を討伐するために前近代的な軍隊が山中深くへ派遣される。そしてアマヨク・テミズ少尉率いる小隊は反乱軍を名乗る野賊どもの罠にかかり、テミズ少尉は捕らわれの身となる。少尉は救援の部隊によって保護されるが、この事件によって少尉の出生に関わる秘密の一部が明かされる。それはそのまま軍における後ろ盾となっていたが、それによって性格証人を得た少尉は許されて単身平服に身をやつし、一味を追って一人を捕える。女であった。一年の後、新たな任地で軍功を立てた少尉は休暇を得て都を目指し、その途上で自分が捕えた女と再会する。領主の館で陵辱を受けていた。テミズ少尉は女の処遇に疑問を抱き、仮に投降者であるならば公正に扱われるべきであると考えるが、時代はその考えを受け入れない。少尉は任地に戻り、女は領主の隙をついて脱走する。

ここまでが第一部。全体は四部構成になっていて、第二部では少佐になった主人公が国土に染み付いた悲惨を味わいながら反乱軍との戦闘を続け、そうしながら支配層との軋轢を深めていく。第三部では大佐になった主人公が首都警護の任について市民暴動に遭遇し、政治的敗北を経験する。そしてクライマックスの第四部では理性が教養主義に支えられて出現し、薄氷を踏むような思いをしながら特権階級との戦いをはじめるのである。

すでにプロットだけでも複雑なのに、加えて歴史的背景、精神風土、法感覚、行政システムと架空の国家が細部にわたるまで構築されていて、それがまたありものを組みあわせたような中途半端なしろものではなくて、言わば沢村流に見事に消化されているのである。そういうところに配置された多数の登場人物が、それぞれの事情にしたがってそれぞれ勝手に行動し、それぞれに高潔さや卑しさを発揮しながら厚みのあるドラマを紡ぎ出していく。その練り込みようはたいへんなもので、これはもう力作と言うしかないのである。現代日本を舞台にして隣国の脅威を訴えるばかりが何もポリティカル・フィクションの使命ではない。普遍的な題材を扱ってこそ、フィクションの価値は高まるのである。

なお、本書の帯に「貫き通した信念、抱き続けた理想」と書いてあって、これはこれでもちろん間違いではないのだけど、主人公はそうしたイメージに直結するようなストイックで愚直な人物としては描かれていない。けっこう言いたいことを言っているし、必要なときには嘘がつけるし、必要があれば手段を選ばないという種類のはなはだ危険で複雑な人間なのである。


(2004/01/19)
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