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『ラビ・エリシャの遍歴』 / ミルトン・スタインバーグ(伊藤恵子訳、ミルトス,1995/03/10)

訳者あとがきによると著者のミルトン・スタインバーグ(1903-1950)はユダヤ系アメリカ人で、三十歳のときにラビに叙階されていて、1939年に本書を発表している。また作者の註によると本書の主人公ラビ・エリシャは実在の人物で、タルムードに言及があるらしい。ただしこれは伝記ではなくて、自由な着想によって書かれた小説である。

紀元二世紀のガリラヤで一人の男児が誕生し、エリシャと名付けられる。エリシャはギリシアかぶれの父親からギリシア人の家庭教師を与えられてギリシア文化の教育を受けるが、十歳のときに父親が死に、以降は保守的な叔父からユダヤ人としての教育を受ける。そしてラビ・ヨシュアに師事してユダヤ教を学び、ユダヤ民族の文化に確信を抱いて学習を進め、若くしてラビに叙階される。ところがラビとして活動していくうちに信仰の根拠が客観的に証明されていないことが気になり、形而上学的な確実性を探し求めてギリシアを中心に異教徒の文献を調べ始める。そして信仰の根拠が客観的に証明されれば人類に大いなる福音が与えられる筈だと考えて研究に夢中になり、その結果として直感にしたがうことをやめて理性を選び、気がついたときには神を捨てている。破門されたエリシャはユダヤを離れてシリアにおもむき、アンティオキアで研究を続けて精神的にはローマに近寄り、そうしているうちにユダヤでは反乱が起こり、四年の後に鎮圧されて多くのラビが虐殺される。このときエリシャはローマ軍の顧問となるように強要され、ここでも民族よりも理性を選び、そのまま破滅の道を進んでいく。

決して洗練された小説ではない。ローマ史劇ぶりはなかなかのものだが、訳者があとがきで指摘しているように登場人物は類型的だし、余計な人物や余計な場面が多いと思う。とはいえ作者の意図は洗練された歴史小説を書くことにではなくて、まずユダヤの伝統的な精神文化を伝え、次に一般的な見地から信仰の危うさを説くことにあり、それはいずれも成功している。特に前者では実に肉の厚い描写を見ることができるし、後者についてはただ作者がそう思うからそうである、というような昨今の小説にありがちな無責任な省略はまったくおこなわれておらず、実際に危うくなる過程が丁寧に説明されていく。つまり作品に明確な機能が予定されており、作品がその機能を果たしている範囲においては、実に豊かな世界が現われるのである。幸いなことにその範囲は広い。儀式がおこなわれればその次第が明らかにされるし、サンヘドリンで会議がおこなわれれば発言の一部はそのままに再録されることになる。議論は議論としておこなわれ、まず様々なラビが現われ、ナザレびとが現われ、非ユダヤ人のキリスト教徒も発言し、グノーシス主義者、ストア派、犬儒派、文法学者、ローマ法の専門家なども登場し、そのそれぞれがいかにもそれらしく話をする。難解なところへは踏み込まずに、理屈はほどよく咀嚼されていて、読み物としてよくまとまっているのである。だから素朴に面白い。ちなみに読んでいるうちにユダヤ教の古い小話を思い出した。「四人の賢者が神と出会い、一人は戻り、一人は死に、一人は発狂し、そして一人は異端となった」 おおむねこのとおりの内容である。

(2005/03/30)
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