2001.6.1 fri.

帰宅してから「トゥーム・レイダーV」。ローマ編をクリアする。


2001.6.2 sat.

朝から「トゥーム・レイダーV」。ロシア編をクリアして、引き続きケルト編(ということでいいのかな?  アレクサンドル・ネフスキー に仕えてチュートン騎士団と戦ったロシアの騎士の亡霊がなぜかアイルランドの小島でうろうろしている)へ。どこからともなく出現するチビ幽霊はまじで怖い(齧るし)。夕方になってからわたしは美容院へ。大蟻食はナボコフ学会へ。学会がはねた後はクレーメルのコンサートへはいかずに、宴会へ流れてチェス談義に花を咲かせた模様である。


2001.6.3 sun.

朝から「トゥーム・レイダーV」。ケルト編をクリアして、ハイテクビル編へ。「ハイパープレイステーション2」のゲーム批評にもプレイ・ボリュームが乏しいといった記事が載っていたが、たしかにそのとおりかもしれない。映画の公開が控えているので、慌てて作ったのかもしれないね。とはいえ入門編としてはいいのではないかという気もするし、相変わらず美術は凝っているのでさしあたり文句はない。でも、やっぱりIIが最高傑作だったのではなかろうかという気はするのである。
気持ちのいい天気なので午後からちょっと散歩に出る。大蟻食は夕方からバイオリンの発表会。その後で落ち合って、夕食の買い物を済ませて帰宅する。で、性懲りもなく「サウスパーク」を見ながらご飯を食べる。ああ、劇場版 「サウスパーク」 の大阪弁吹き替え版が今から楽しみで楽しみで。食事の後、大蟻食がアイロンをかけ始めたので、わたしは脇に立ってソルジェニーツィンの「収容所群島」を朗読する。第1巻の第5章「初監房、初恋」までを読み終える。ユーリイ・Eのエピソードと皇帝ミハイルのエピソードは大蟻食にたいそう受けていた。
ユーリイ・Eのエピソードというのは概ね次のような内容である。赤軍エリートを父に持ち、立派な教育を受けて自らもまた赤軍将校となった若者がドイツ軍の捕虜となり、その捕虜収容所で祖国から見離されて獣と化していく同胞の姿を目撃し、革命に疑問を抱くようになる。疑問はそのうちに祖国を「解放」しなければならないという妄執に変わり、やがてその気持ちから白ロシア軍団の募集に応じる決心をする。ヴラーソフ軍団と同様に、ソ連軍捕虜から構成されたドイツ軍の「一部」である。そしてスパイ学校の教官に任ぜられ、ベルリンに送られることになる。そこでユーリイ・Eは数々のロシア人亡命者と面談し、ナボコフを始めとする亡命作家たちの著作を読む。あの「革命」に関する説明を求めたつもりだったのだが、ところがこの亡命者どもはまるで革命などなかったかのように語り、あるいは書いていたのでひどく失望し、ウォトカの深みへと逃げ込んでいく。戦争が終わりに近づいた時、捕虜を装ったスメルシュのスパイがユーリイ・Eに接近し、投降すれば祖国は許すと言っていると告げる。裏切りによって祖国への疑問を抱いた若者は、祖国から発せられたこの甘い言葉に心を動かし、投降を決意するのである。というわけで、ルビャンカの監房でソルジェニーツィンと遭遇する。
皇帝ミハイルのエピソードというのは概ね次のような内容である。1916年のこと、とある労働者階級の主婦の前に丸々と太った聖者が現れ、1歳になった息子はいずれ国運を担うことになるので注意深く養育せよと言葉を伝える。信心深い母親は息子を注意深く養育し、その息子ヴィクトルはまじめで思慮深い立派な若者に成長する。そして運転手となり、数々の党要人の車を運転し、特にフルシチョフには気に入られて食卓を共にしたりしている。さて、ある日のこと、若者の前に丸々と太った聖者が26年ぶりに姿を現し、イコンに向かって一礼をしてから若者を皇帝ミハイルと呼ぶ。そして1953年には皇帝となって全ロシアに君臨することになるであろうと予言する。まじめな青年ヴィクトルはすでに祖国の悲惨を多く見聞し、疑問を抱いていたところでもあったので神の意志に素直に従おうと決心する。そして人民に向けた檄文を書き、少数の人々に読んで聞かせたのである。意外にも話を聞いた人々は賛同の意を示す。だが、女が裏切った。というわけで、ルビャンカの監房でソルジェニーツィンと遭遇する。
「収容所群島」にはこのようなためになる話が満載されている。興味のある方は読んでおかれるといい。


2001.6.4 mon.

トロツキーの回想録「わが生涯」(岩波文庫)の上巻を読み終える。抜群の面白さである。上巻はトロツキーがウクライナの農村ブルジョワの子弟として生まれてから二月革命まで。話者が話者だけに有名人ぞろぞろは当然のことだが、それよりも自意識を育んだ若者がいかにして思想家となり革命家となり、いかに革命を組織して革命を始めるかという一連のプロセスが実に克明に記されていて参考になる。19世紀末、つまり出発点においてはマルクス主義というのはナロードニズムの後にやってきた思想的な流行以上のものではなかったようである。というわけで大蟻食の言ではないが、この連中にロックがあったら革命はおこらなかったかもしれない。帰宅したら朝日新聞の週刊トリケラトプスに「ぬかるんでから」の書評が。ありがたいことである。夜は大蟻食が前日の続きでまたアイロンをかけ始めたので、わたしは「収容所群島」を朗読する。


2001.6.5 tue.

「トゥーム・レイダーV」終わり。いくつかの新しいアイデアは盛り込まれているものの、やっぱりボリュームがない。しかも、話をまた引きやがった。ストーリーへの関心でやるようなゲームではないけれど、そのせいで印象としての消化不良は免れないのである。ジャンプ・アクションのバリエーションなどはシリーズ初期へ戻ろうとしているかのような気配があるが、一方、「III」以降に顕著な視点の強制固定や無体なトラップはあいかわらずで、わたしはこれを難易度を安易に上げるための方策であろうと考えている。つまり、作り手は手を抜いているのではないか、というようなことを考えている。それぞれのステージについて言えば、「ローマ」編はまあまあ、「ロシア」編はまあまあだけど内容が破綻(「メタルギア・ソリッド」の影響を受けてないか?)、「ケルト」編がマップもシチュエーションもいちばん面白く、最終ステージの「ハイテクビル」編は無意味に難しい上にマップの作りも粗くてよろしくない(シークレットを全部取るのはもうたいへんだった)。MP5にスコープくっつけて狙撃するというあの妙なセンスはいいかげんにやめてほしいと思ったりもする。UZI(MAC10に見えるが)を握ってストレートな複合ジャンプをするのが好きだったぞ。


2001.6.6 wed.

大蟻食がギドン・クレーメルのコンサートへいってしまったので、わたしは実家へ帰らせてもらう。ゴンゾはたいそう元気であった。元気が余っているようだと母は言う。で、その母の本棚を物色していたら、なくしてしまったと思っていたデーヴィッド・ローゼンバウムの「ツァディク 異能の者」(福武文庫)があったので、万歳三唱して回収する。これが傑作で、現代ニューヨークのユダヤ人コミュニティで巨大なダイヤが盗まれ、事件を追う刑事と19世紀ルブリンのツァディクの行動とがシンクロする。いちおうミステリーなのだが、全編ユダヤ神秘主義全開という小説なのである。


2001.6.7 thu.

ここのところ数人の方から、このホームページにわたしのメールアドレスが記載されていないというご指摘をいただいた。よく見てみるとたしかそのとおりだったので、メニューにメールアドレスを追加した。


2001.6.8 fri.

「バルタザールの遍歴」及び「ぬかるんでから」の刊行打ち上げということで文春の皆さんと六本木で宴会。


2001.6.9 sat.

大蟻食は午前中から外出。午後、渋谷で落ち合って 「ハムナプトラ2」 を見る。期待していただけに、このはずれっぷりは痛かった。次はティム・バートンに期待しよう。帰宅途中で軽く食事をして、家に着くや否やそのまま寝てしまう。


2001.6.10 sun.

前夜、妙な時間に寝たせいで6時前に目が覚めてしまう。起き上がってハーブの鉢に水をやり、しばらく朦朧として過ごす。朝食をとった後も体内時間がずれているのか朦朧としていて、気がつくともう昼を過ぎていた。モスバーガーからピリマメバーガーを買ってきて、食べながら二人で並んで 「シベリアの理髪師」 を見る。見終わるともう夕方になっていたので、大蟻食はバイオリン教室へ。で、しばらくすると雷鳴が轟き、雨が降ってくる。わたしは傘を持って大蟻食を迎えにいくことになり、家を出て300メートルほど進んだところでとんでもない降りに遭遇した。上から下までびしょ濡れになったが、それでもバイオリン教室の前までなんとか進む。そこで雨が小降りになるのを待ち、大蟻食と一緒にいったん帰宅。服を着替えてから買い物に出る。途中でブティックをひやかしたが、どうも柄物が多くて目を引く物がない。あるいは、わたしが遅れてしまっているのかもしれない。夕食を食べながら、 「L.A.コンフィデンシャル」 を見る。大蟻食もたいそう気に入ったようだが、ラッセル・クローがキム・ベイシンガーの目の前で雨に濡れながらうろうろする場面では腹を抱えて笑っていた。男はみんな、ああなるのだと説明したが、どの程度真に受けたかは自信がない。見終わった後、大蟻食がアイロンをかけ始めたので、わたしは例によって「収容所群島」を朗読する。

ところで「新大蟻食の生活と意見」がもう3ヶ月近く更新されていないのである。一応、わたしは思い出すたびに急かしてはいるし、本人もひどく気にしてはいるのだが、なかなかうまく時間を取れずにいるというのが実情である。ということで、この場で大蟻食の近況を簡単に報告させていただく。
まず、バイオリンを弾いている。
で、その合間に2本の長編を並行して進めている。そのうちの一本は完成が間近い(らしい、かもしれない)。またもう一本については本編と並行して複数の外伝(こちらは短編)を進めるという妙なこともやっている。早稲田の講義も続けているし、この春からは日大での講義も始まっている。しばらく前にはナボコフ学会で発表をしていたし、秋にはなぜかメルヴィル学会で何か話すことになっているようである。
取り敢えずは小説を仕上げるべく大蟻食は頑張っているとご理解いただきたい。このような場合にしばしば障害になるのはゲームだが、今のところ「トゥーム・レイダーV」に深入りしそうな気配はないし(「鬼武者」には深入りしていたが)、来月発売の「ファイナル・ファンタジーX」はCGムービーを見るだけなので(残りはわたしが泣きながらやる)問題はないだろう。
ホームページの方もできるだけ早い時期に更新したいと大蟻食は言っているので、今しばらくのご容赦を。


2001.6.11 mon.

矢川澄子さんから新しい絵本「おみまい」(びりけん出版)をいただく。おばあさんの所へお見舞いに行く途中の女の子が、路傍の猫をかどわかして「おみまい」にしてしまうというお話である。矢川さん流のクールなポエジィ(という言い方をしていいのかどうか)が不思議な余韻を後に残す。そして宇野亜喜良さんのにゃんこの絵が素晴らしい。
で、大蟻食近況報告の追加。昨日の書き込みで長編をふたつ並行して執筆中と報告したが、そのうちのひとつは「18世紀のイタリアを舞台にしたポルノ」である。サド風というようなことで始まった筈だが、書き上げた部分を見る限りでは完全に大蟻食風の世界になってしまっている。つまり、やや重厚であるとお考えいただきたい。もうひとつは「第一次世界大戦を背景にしたエスピオナージュ物」で、オーストリアの謎の諜報組織が舞台になっている。亭主には今のところ全貌が掴めていないけれど、なんだか面白そうである。いずれも今秋には完成の予定(と、大蟻食は言っている)。では、そういうことで。


2001.6.14 thu.

大蟻食がまたアイロンをかけたので(なんでこう頻繁にアイロンをかけるのか?)、わたしはまた「収容所群島」を朗読する。とうとう1巻目を終わってしまった。


2001.6.15 fri.

わたしの部屋のワイルド・ストロベリーがしばらく前から実をつけている。そのうちのひとつが大きくなって真っ赤になったので、試みに食べてみた。いちごの味である。しかもすばらしい香りである。残りの実も早く大きくならないかな。


2001.6.16 sat.

実はこの2週間ほど、なぜだか知らないけれど猛烈に眠い。気候のせいなのかもしれない。大蟻食も眠いというので、日中はほとんど寝て暮らす。


2001.6.17 sun.

昼前に家を出て東横線で菊名へ。そこで横浜線に乗り換えて八王子へ。大蟻食が通っているバイオリン教室の発表会である。で、わたしは付き添いなのである。今回は合奏があるので到着してからちょっと音あわせをして、それから会場の近所にあったデニーズでお昼を食べる。2時半から発表会が始まり、終了までの間に大蟻食はなぜか3回も舞台に登場する。ほかの人はこんなに頻々と登場しないので、よくよく出たがりであるなあと感心した。合奏の人数が足りなくて、応援を頼まれると気安く応じた結果らしい。こういうことだからホームページの更新が止まってしまうのである。バイオリンそのものについて言えば、1年前の前回に比べると格段に進歩していたと思う(どうも恥ずかしいらしくて、ふだん家では聞かせてもらえない)。
発表会の後、途中のパブでビールをひっかけてから八王子駅の前へ。とんでもない人出である。身動きもできない。警官もいっぱいいた。駅前ロータリーを横断する歩道橋には「小泉首相、八王子へ来る」とかなんとか書かれた横断幕がかかっている。その歩道橋にも人がぎっしりと並んでいて、それはもう、ちょっとした光景なのであった。当の小泉首相はまだ到着していない模様だったので、ならばひとつ見物していこうかなどと考え、到着時間を確かめようと大蟻食が警官に話しかけたが見事に無視される。少々アルコールが入っていたのでおのれ官憲めなどとこちらが考えていると、無視をしたその警官のところへ関係者らしき男がビラの束を持って接近し、さらにその男のところへ市民らしき別の男が近づいて「小泉さんはいつやってくるのか?」と質問した。「小泉さんは5時45分到着予定です」という返答である。しかし男の手の中のビラには5時からと印刷されていた。すでに5時は過ぎている。歩道橋にぎっしり詰まった人々も、ロータリーにぎっしりと並んだ人々も、初夏の陽射しの下であと45分待つことを知っているのであろうか。政治(政治家)への関心が高まるのはよいことだと思うが、その政治が抱えている「必要がなくても事実は曲げて伝える」という習性が、どうもここには見え隠れする。いずれにしてもわたしたちはあと45分待つつもりはなかったので駅へ入った。横浜線に乗り、今度は長津田乗換え二子玉川経由で帰ろうと考えたのだが、席に腰を下ろすやいなや、大蟻食もわたしも爆睡してしまったようである。気がついたらもう長津田を通り過ぎていた。というわけでまた菊名で乗り換えて自由が丘に戻る。買い物を済ませて家に帰り、冷麺を食べながら「リサーチ200X」を見る。食事の後は大蟻食がアイロンをかけ始めたので、わたしは「収容所群島」を朗読する。


2001.6.18 mon.

トロツキーの回想録「わが生涯」(岩波文庫)の下巻を読み終える。下巻は二月革命直後の状況から十月革命、内戦、レーニンの病気、「反トロツキズム」キャンペーン、そして流刑から追放まで。トロツキーは革命的理性と革命的信念に基づいてスターリン的官僚主義と歴史歪曲を批判する。革命家の生態を見るのに格好のテキストだと思う。
翻訳のよさもあるのだろうが、とにかくこの人は文章がうまい。なんといっても勢いがあり、ユーモアも警句も気が利いているし、複雑な状況も適度な取捨選択を加えて実に巧みに説明する。とりわけ内戦に関する記述は興味深く、「トロツキーの列車」のことにもそれなりの字数を割いて触れているのが嬉しかった。反面、内戦中はモスクワにいることがほとんどなかったからなのか、同じ期間のレーニンや戦時共産主義の状況についての具体的な記述がないのが惜しまれるが、それはやはりこの回想録の機能ではあるまい。で、なんというのか、キャラ立ちまくりのトロツキーと対置すると、スターリンというのはいかにも凡庸で寡黙なのである。スターリンが嫌ったのもよくわかるような気がするし、スターリンでなくともこんなのがそばで騒いでいたら、あまりいい気持ちはしなかったのではあるまいか。トロツキー自身にしてからが、レーニンは急いでいる時には自分には頼まなかったと告白している。言われたとおりにしないで言われたことを考え始めてしまうからであり、考えた結果から言われたこととは違う結論を導き出すことがあるからである。トロツキーが永続革命論でロシアを実際に引っ張っていったら、どうなったのか。興味の尽きないところである。ということは、「裏切られた革命」を読むことになるのか?


2001.6.22 fri.

風邪を引いた。ふらふらしている。


2001.6.23 sat.

だいぶふらふらしている。


2001.6.24 sun.

まだふらふらしている。


2001.6.25 mon.

ふらふらが直らない。


2001.6.29 fri.

相変わらず体調はよろしくないのだが、全然映画を見ていないという状態にどうにも我慢ができなくなってビデオを借りてくる。まず大蟻食と一緒に 「わたしが愛したギャングスター」 を見て、続いて一人で 「ダイナソー」 を見る。


2001.6.30 sat.

やはり体調がよろしくないので昼の間はごろごろとして、夜に入ってからまだビデオを借りてきて映画を見る。まず 「リプリー」、 続いて 「ザ・ジェネラル」


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