落ちたヘリコプター 堕落したヘリコプターのことではもちろんない。 映画に登場したヘリコプターの墜落原因についての話なのである。もう少し正確には、墜落の仕方について、ということになる。 映画には数多くのヘリコプターが登場するが、多くの場合は登場人物をはじめとする旅客を輸送するためであって墜落するためではない。言うまでもなく映画は一部の例外を除いて常に一定の構想に基づいて作られているので、構想から外れて無関係な描写、つまり航空機の事故が挿入されることは決してないのである。言い換えれば、映画の中でヘリコプターが輸送を目的に登場する限りにおいて、そのヘリコプターは決して墜落することがない。そして一方、ヘリコプターが墜落するために登場する場合には何がなんでも墜落するのである。 さて、映画におけるヘリコプターの墜落原因はおおむね次のように分類できる。 以下ではこの分類にしたがって、映画の中に登場したヘリコプター墜落場面を紹介したい。 被弾 映画の中でヘリコプターが墜落する原因は、たいていの場合、被弾である。つまりアクション・シーンで誰かが撃った弾が命中してヘリコプターが落ちるのである。印象的に落ちていたヘリコプターを紹介しよう。 まず最初は「八点鐘が鳴るとき(1971)」、アリステア・マクリーンの同名の小説の映画化で、監督は「ツェッペリン(1971)」のエチエンヌ・ペリエ、主演はまだ若くて痩せているアンソニー・ホプキンスである。このアンソニー・ホプキンス扮する秘密諜報員が金塊密輸組織の隠れ家を探してヘリコプター(記憶ではシコルスキーS-58)に乗り込み、スコットランド北部のうんざりするような海岸線に沿って延々と飛ぶ。そして遂に海からそそり立つ断崖に開いた洞窟に隠れ家を発見するのだが、その途端に手に手にステン・サブマシンガンを持った戦闘員が洞窟の奥から湧き出してきてヘリコプター目掛けて撃ちまくるのである。被弾したヘリコプターは揚力を失って崖から張り出しているまず岩棚にどしんと腹を打ちつける。S-58は車輪のついた固定脚をコクピットの下に備えているので、ちょうどアザラシか何かが海から這い上がってきたような格好になる。それから海に向かって尾翼を下に滑り出し、崖の端まで来るとぐるりと寝返りを打って落ちるのである。落ちていくずるずるとしたプロセスに感動したものだ。 次はサイケデリック(!)な音楽が印象的だった「刑事マルティン・ベック(1976)」。シューヴァル&ヴァールーの警察小説「マルティン・ベック」シリーズの「唾棄すべき男」を原作とするスウェーデン映画である。町中のビルの最上階(というよりも屋根裏か)に立てこもった犯人を狙撃するために警察のヘリコプター(ジェットレンジャーか何かだった)が飛び立つ。腹の下から伸びている長いロープの先にはサブマシンガンを持った強襲部隊の隊員がぶら下がっていて、あの不安定な体勢でどうやって撃つのかと思っていると案の定、あっという間に撃たれてしまう。隊員を地上に戻した後、再び離陸すると今度はヘリコプターが被弾して、それと同時に視点がコクピットの内側に移る。そして警告音を響かせながらヘリコプターは高度を下げ、路上のやじ馬の群れへ突っ込んでいくのである。やじ馬は逃げ出し、ヘリコプターは地下鉄の入り口に突っ込むようにして着陸し、燃え上がって煙を吹き出すと駆けつけてきた警官たちが消化剤を吹き付ける。被弾から炎上、消火まで、実に力の入った演出であった。 80年代はなんと言っても「ヒッチャー(1986)」である。ルトガー・ハウアー扮する凶悪無比なヒッチハイカーが殺戮と破壊の限りを尽くす映画だが、その暴力描写はどれも陰鬱で退廃的で妙に美しかったりする。タイヤを粉砕された二台のパトカーが鼻先を突き合わせるようにしてごろごろと転がり、その向こうでは夕陽が毒々しく輝いているというあの場面は有名だ。 C・トーマス・ハウエルの車を追跡するパトカーの群れに警察のヘリコプターが加わり(警察が使う機体なので、やはりベル社の汎用小型ヘリコプターである。なお、以下、特に機種を断らない場合はいずれもジェットレンジャーか、その派生機であると考えていただきたい)、低空で飛行しているところをルトガー・ハウアーの拳銃に撃たれる。するとローターが停止し、どういうものか力学の法則を無視してヘリコプターは前方にではなくまっすぐ下に落ちてくる。落ちた所はフリーウェイで、ここでは追跡劇がなお続行中である。落下の衝撃で壊れた機体に駄目押しをするようにパトカーが突っ込み、無残に粉砕する。このシーンはすごかった。救いというものがまるでないのだ。 あとで知ったことだが、この場面で墜落するヘリコプターは廃棄処分された機体にトラクターのエンジンを載せて、取り敢えずローターが回転だけするようにしてからクレーンで吊り上げて、ただ落としたのだそうだ。そう聞くとあの不思議な落下の仕方も納得できるが、すごいのは不自然な描写であるにもかかわらず、それが瑕疵になっていないことなのである。 「ヒッチャー」からしばらく置いて公開された「ミッドナイト・ラン(1988)」でもヘリコプターは美しく撃墜されていた。ロバート・デ・ニーロとチャールズ・グローディンの珍道中二人組みがボートで川を下っていると、そこへ刺客を乗せたマフィアのヘリコプターが飛来する。実にしつこく狙ってくるのでロバート・デ・ニーロは銃を取り出し、テイル・ローターを一撃で壊す。安定を失ったヘリコプターは左右に回転しながら河岸の崖に激突するのである。 90年代に入ってからも映画の中では多くのヘリコプターが撃墜されているが、実を言うと記憶に残るような場面があまりない。「マトリクス(1999)」でも落ちてはいたが、あそこまで構図に奉仕してしまうと逆に印象が希薄になるのである。強いてあげれば96年の「戦火の勇気」であろうか。冒頭、湾岸戦争の場面でメグ・ライアン指揮する救難ヘリコプターがイラク兵の放った弾丸を被弾し、墜落するという場面がある。これが実にしつこい墜落の仕方で、たいそう感心した。 ついでになるが、戦争映画でヘリコプターが落ちる、というのは珍しいのである。少なくともわたしが見てきた範囲ではあまり見かけない。ベトナム戦争を扱った映画ではほとんど常に頭上を飛びまわっているのだが、落ちないのである。何か心情的な理由でもあるのだろうか。マーク・ボウデンのノンフィクション「強襲部隊(早川書房)」はブラック・ホークがソマリア民兵に撃墜された事件を扱っているが、この時にデルタ・フォースやレンジャーが経験したパニック状態についての記述を読むと軍用ヘリコプターというのはアメリカ人のリビドーに深く関与しているのではないかと疑いたくなる。ちなみにジョン・ウェイン監督、主演の「グリーン・ベレー(1968)」にはベトコンの砲火を浴びてヒューイが撃墜されるという場面がある。それはもうひどい特撮であったが、被弾したヘリコプターは地上になんとかたどり着き、そこで姿勢を保てずにごろんと一回転して燃え上がる。と同時に中からジョン・ウェインがごそごそと這い出してきて、燃えるヘリコプターを背にしていつものように立つのである。ヘリコプターは落ちてもジョン・ウェインは生きているという描写が彼らには必要だったのだという解釈はもちろん穿ち過ぎだが、ジョン・ウェイン抜きでヘリコプターを落とすまでに30年かかっているのも事実なのではあるまいか。あの「地獄の黙示録(1979)」ですらも例外ではない。この映画の中ではヘリコプターは何度も被弾しているが、それで墜落しているのは一機もないのである。卵型のカイユースはヤシ林の手前で被弾して、その場で反転するだけ、波打ち際の上空でヒューイが一機、撃たれて炎を吹き出すがカットはそこで変わっている。実は本当に落ちている場面が一ヵ所だけある。村の広場に着陸しているヒューイが機内に手榴弾を投げ込まれて爆発する場面である。着陸しているヘリコプターが落ちる筈はないのだが、爆発を正面から捉えたショットでは機体は間違いなく数十センチ落ちている。墜落したのではなく、コッポラの演出によって落ちているのであり、そうすることによって爆発と同時に機体が画面から観客に向かって飛び出すような効果を得ることができるからである。 ということで、次へ進もう。 衝突 衝突とは、ここではヘリコプターが弾丸や砲弾以外の物に衝突して墜落することを意味している。つまり被弾の類型であり、その墜落の仕方は自業自得に見えるので衝突して落ちるのは主に悪役ヘリコプターということになる。 ちなみにヘリコプター同士の衝突というのはまだ見たことがない。固定翼機の場合は空中で正面衝突したり(「スカイエース(1976)」)、接触したり(「エアポート75(1974)」)していたことがあるが、ヘリコプターは多くの場合、低空を飛んでいるので地上にある何かにぶつかることになる。 さて、地上にある何かでもっともポピュラーな存在が電線である。電柱と電柱の間に張り渡された電線にヘリコプターが接触するという場面を最初に見たのはクリント・イーストウッド監督、主演の「ガントレット(1977)」で、この時はバイクに乗って逃げるクリント・イーストウッドとソンドラ・ロックを悪役ヘリコプターがしつこくしつこく追いかけていた。そしてパイロットは例によって追うのに夢中になって目の前の高圧線を見過ごすのである。似たような描写は「ダイハード3(1995)」にもあった。どちらも派手に爆発していた。 「ガントレット」と同じ年の「カプリコン・1」ではNASAの悪役ヘリコプターが2機(箱型の変な機銃で武装したカイユース)がテリー・サバラス操縦の農薬散布用複葉機を追い回す。このアクション・シーンは出色の出来栄えでヘリコプターは神出鬼没、さらに地面をかすめるようにして飛び回るのである。最後に空中にばらまかれた農薬で視界を奪われ、崖に激突して最後を迎えていた。映画は中盤からヘリコプターの悪役ぶりをさりげなく強調しているので、この結末は爽快であった。 ヘリコプターの進路には電線や崖だけではなく、橋やトンネル、建物も出現する。だがたいていは急上昇(「カサンドラクロス(1976)」)や覚悟の突入(「アウトブレイク(1995)」)をして難を逃れている。まともにぶつかっていったヘリコプターで特に印象深いのは「ダークマン(1990)」である。悪役ラリー・ドレイク(シガー・カッターで人の指を切ってコレクションにしている)を乗せたヘリコプターをリーアム・ニーソン扮するダークマンがハイウェイを疾走するトレーラー・トラックにワイヤーで繋ぎ止め(ここまでのスタント・アクションがものすごい)、トラックがトンネルに入っていくとヘリコプターは引きずられるようにしてトンネルの入り口に激突するのである。 ヘリコプターと車の衝突もたまに目にする。しかし大部分は着陸しているヘリコプターに車が衝突しているのである。ヘリコプターが車にぶつかっていったのは「ターミネーター2(1991)」くらいであろう。ロバート・パトリック扮するT1000が操縦するヘリコプターがシュワルツネッガー以下の乗るバンに後方から激突する。どちらもロスアンゼルス市警の装備なので始末書はたいへんな量になったに違いない。聞いた話によればこの場面はモックアップのヘリコプターをクレーンで動かして撮影したようだが、キャメロン流の叩き付けるだけの演出はここでは効果を発揮していて迫力があった。 遭難 遭難とはヘリコプターが不測の事態に遭遇して墜落することを言う。たとえば「キングコング(1976)」でコングに叩かれて落ちていったヒューイはコングに叩かれることを予期していたわけではないので遭難したことになるし、、同じくジョン・ギラーミンの「タワーリング・インフェルノ(1974)」で爆発に巻き込まれて落ちていったヒューイも同じように遭難に分類されることになる。監督が同じだから、という理由でほとんど同じようなショットで落ちていったヘリコプターというのは珍しいかもしれない。 追記: 監督が同じで、同じようにヘリコプターが墜落しているという事例をもう一つ思い出したので追加しておく。ピーター・ハイアムズの「カナディアン・エクスプレス(1990)」と「サドン・デス(1995)」である。一方は山の中、もう一方はドーム型ホッケー場という違いはあるものの、どちらでもヘリコプターは機首を下に、尾翼を空に向かってぴんと突き立てて落ちていった。なかなかに斬新なショットだったので、わたしも感心した記憶がある。察するに監督本人も気に入って、だからもう一回やったのであろう。 遭難したヘリコプターの墜落シーンで印象的だったのは「スォーム(1978)」である。アーウィン・アレンがよせばいいのに監督までやったオールスター学芸会のパニック巨編で、南米から致死性の毒を持った蜂が大挙して押し寄せてくる。この蜂の群れに遭遇した米軍のヘリコプター二機がエンジンに蜂を吸い込んで墜落するという場面があるが、高度を下げていって地上に激突してばらばらになるまでを長いショットで捉えていて、これがよかった。この映画はこのシーンとリチャード・ウィドマーク率いる部隊が尾根を越えて前進してくる冒頭の場面以外、見るべきところがない。「エクソシスト2(1977)」でジョン・ブアマンがバッタの群れをすごい特撮で見せてくれた翌年に、フィルムの染みみたいな蜂の群れはなかろうというものである。ジェリー・ゴールドスミスの音楽はすごいんだけどねえ。 ヘリコプター・アクション映画「ブルーサンダー(1983)」の冒頭ではロイ・シャイダーが乗るロスアンゼルス市警のヘリコプターが墜落する。事前に部品が細工されているので人災ということになるが、工事現場へ降下していって作業小屋の屋根にいったん着陸し、さらに屋根を踏み抜いて落ちていくという描写は丁寧であった。なお、劇中に登場するブルーサンダーは新開発のハイテク・ヘリコプターという設定で、撮影用に飛行可能な機体が二機作られていたということは、後でテレビ・シリーズ「アメリカ(1987)」を見ていて知った。これはタイトルのアメリカのつづりがAMERIKAに変えられていて、ソ連占領下のアメリカという話である。想像力のない内容だったが、これにブルーサンダーが二機、ロシア軍のヘリコプターという役で登場していた。 「ダイハード(1988)」の救難ヘリコプターも忘れられない。アラン・リックマンの嘘の要求で出動した二機のヒューイがロスアンゼルス市街を超低空で飛行する。人質を運ぶためだと称して武装したFBIを乗せていて、飛び方はこれ以上はないくらい露骨に攻撃ヘリである。FBIも嘘をついていたのだ。狙撃用ライフルを抱えて髪を風になびかせながら「ベトナムを思い出すぜ」と叫ぶロバート・ダビはいい味を出していた。そしてこの程度のFBIだから、ヘリコプターはアラン・リックマン一味がしかけた爆弾の爆発に巻き込まれてあっけなく墜落する。前記「タワーリング・インフェルノ」の類型だが、火薬の量が違う分だけこちらの方が迫力があった。 飛行するヘリコプターを襲うのは爆風や怪物だけではない。「ダンテズ・ピーク(1997)」では避難民を乗せたヘリコプターが火山灰を吸い込んで墜落する。雪のように降り注ぐ火山灰の向こうからヘリコプターがもんどりうって落ちてくる場面はたいへんな迫力であった。 放棄 自分が乗っているヘリコプターから空中で降りようと考える人はあまりいない。映画の中で見かけたその唯一の例が「ピラニア(1978)」の続編ということになっている「殺人魚フライング・キラー(1981)」である。クライマックス近くで、海上でホバリングしているヘリコプターからダイブするという場面で、足で蹴って飛び出すと同時に蹴られた機体が大きく回って海に落ちて爆発する、という描写はこの情けない映画で唯一説得力があった。ちなみにこれはジェームズ・キャメロンの監督デビュー作である。 事故 撮影中の事故、ということになる。「トワイライト・ゾーン(1983)」の撮影中にヘリコプターが墜落してビック・モローが事故死するという事件があったが、その場面は完成した映画には使われていない。まがりなりにも良識があればそうなる筈だが、事故があって死人まで出していてもそのシーンをちゃっかり使っているのが「アタック・オブ・ザ・キラートマト(1978)」である。その昔、何も知らずに見た時にはなんでここだけ頑張ってるのかと不思議に思ったものだが、真相を知って少々呆れた。とはいえ、活動屋精神というのは元来、そうしたものなのかもしれない。 |